ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

見下すのは、知らないからだ。知らないから、決めつける。

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先の参議院議員選挙で、重度の障害者が国会議員に当選しました。歓迎すべきことです。否、私は”disorder”(精神医学界における翻訳によると「障害」)と付く疾患を複数抱えている者として、歓迎します、と言い換えましょう。

 

さて、この当選について賛否があるようですが否の意見があまりにもアレなので書き残しておきたいと思ったのがこの記事を執筆するきっかけです。

 

まずひとつ言っておきたいのは否定派の人が「障害者を、山本太郎が国会に送り込んだ」と言っていますがそれは全くのデマだという事です。立候補の意思を示し、自らの意志で国会議員になったのです。そそのかされたのだ、とかなんとか言おうが、立候補したのは本人であります。最初のここがもう理解のない人の多いこと多いこと。

 

 

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障害者が皆天才だなどと言う結論は出さないのでまず聞いていただきたいんですが、ALSという難病を抱えながら研究者として生涯を生き抜いた、とある天才物理学者がいました。ALSは文字通り筋肉が萎縮する病気ですから表情や発話が不自然になりますが、知能とは関係ありません。彼は障害者だから持ち上げられているわけではなく学者として極めて優れた人物でした。どれだけの日本人がその活躍を知っているでしょう。名前くらいは知っている人が多いとは思いますが・・・。その功績の裏で、周囲がどの様に彼の活動を支え、ケンブリッジ大学は博士の為にどれほど環境を整えたか。

 

ネットで机上の空論をしたり、極論を吐いたりする前に、国会議員は訪問団を組んで天才が埋もれずに済んだ経緯を調査してきたらいかがでしょうか。

 

「障害者が障害ゆえに国会で邪魔になる」という趣旨の発言をした人々は考えてみてほしいと思います。国会に痰吸引の音が響くぞ!とか脅している人もいました。良いじゃないですか。生きるのに必要なんだから。日々聞けばいいんじゃないんですか?議会で寝てるより痰吸われてるほうが良いと思いますが。

 

そもそもどんな障壁が存在しようとも、選挙で当選した人が国会議員としてその能力を最大限活かせる環境を作ることは、立法府の責任ではないですか。国会は先に障害者基本法を成立させ、障害者差別解消法を成立させたではないですか。国会が立法したものが、国会では守られない、守ることができないなどという事が、許されるのですか。

 

国会議員というのは国民から選ばれた、国会で意見する国民の代表ですから、その活動の道が特定の属性に対してだけ閉ざされている、または閉ざそうとする者が多数いる事は、民主主義の危機ではないですか。時代に逆行していないかと自分に問うてみるべきです。

 

そもそも人権を義務とバーターだと思っている教養のない人は、先人が戦って手に入れた権利がなぜ権力から主権者たる国民を守るために憲法に明記してあるのか、そしてそれがあるからこそ、今、唐突に殺されたり収容されたり検閲されたり売買されたりしないで済んで人間らしい生活ができている確率が高いという事を忘れていませんか。

 

もうひとつ、「障害者には障害ゆえに能力がない」という趣旨で今回の当選に否定的な方々にも考えていただきたい。先に挙げた、名前を言いましょう、故ホーキング博士の例を思い出してみて、障害がないから自分の方が優れていると言えますか。博士は確かに他者、大学の補助なしに功績は上がらなかったでしょう。

 

それでもです。なぜ人は社会を形成しているのですか。健常者であっても、自分の得意分野で功績を出し、そうでない部分を他人任せにするという意味を含んでいませんか。あなたは自分で野菜を作り家を建て、家畜を育てながら営業と研究開発をして経営や貿易もすべて自分でやっていますか?

 

障害者に向かって言っているのと同様に、あなたには自分だけで生きる能力ないんじゃないですか?考えてみてください。

 

みんなひとりでなど生きていないのです。仕事に就くことそのものにバリアを感じている人には、誰かが補えば花開く能力があります。偉大な物理学の功績でなくてもいいんです。

 

複数の「disoder」を抱える私ですら得意なことは複数あります。私の得意なことを5つほど掛け算してみれば、私の得意な5つの能力の掛け算で私に敵う人間は(ほとんど、或いはもしかしたら、1人も)いなくなるでしょう。健常者が障害者に、障害者だからという理由で上から目線でモノ言うなんてのは思い上がりもいいところですよ。

 

見下すのは、知らないからなのです。知らないから、決めつけるのです。国会に重度障害者が居れば、それを国会議員が知る機会になるではないですか。差別主義者は炙り出され、障害への理解が進み、国会におけるバリアが消える(方向に進む)。いいとこばかりだと思いますけど。税金がかかる?その話は下の話を読んでから言ってください。

 

障害で見た目の顔や顔の筋肉が歪んでいても、きりりとした顔の健常者より頭の良い人はゴマンといるはずです。おなかが出ていて薄毛の精神疾患の人でも、スリムでイケメンの誰かより人望も魅力もある人はゴマンといるはずです。

 

うつ病で布団から動けない人でも、発達障害で空気の読めない人でも、一般的な健常者より特化した能力(いや、特化どころか全IQやスポーツ技能でもあり得る)が優れていて、あなたに解決できないトラブルをあっさりと解決する能力のある人はナンボでもいるでしょう。

 

というか知らないだけで、職位が高かったり健常者の平均よりずっと多くの税金を納めていたりする障害者は一般人の想像以上に多いですよ。

 

「障害者が福祉に寄生して俺たちの税金を食い物にしている」、と考えている人もたくさん見かけます。これも線引きがオカシイです。納めた税金が、自分が受ける行政サービス・社会的サービスを上回るラインはおよそ年収にして約900万円以上の人からだという言説もあります(林先生が言及していましたね)。それ未満の人は、(働けない)障害者やニート(悪い意味ではない)、無職(これも悪い意味ではない)同様に高額納税者が収めた税金にぶら下がっているんです。それ以上を稼いでいるという人は、ドヤ顔するのではなくて、税金にぶら下がらないといけない他者(従業員や部下)を安い賃金で働かせてぶら下がらざるを得ない状況を作り出している場合が多いのだから、その人の分まで納税してやっとトントンくらいに考えなければいけませんよ。

 

本人に非がない属性を取り上げてお前は○○だからいない方が良い!なんて面と向かって言えますか?言える人は私から見たら正気には映らないですね。例えばツイッターで属性を理由に暴言を呟けば、その属性の人すべての人に向かって言っているのとそう変りないんですよ。それは差別に基づいた侮辱そのものですよ。絶対に自分に返ってこない自信のある人だけ言いなさい。

 

気に入らないなら「嫌い!」とだけ表明しておけばよろしいのではないでしょうか。その嫌いな理由が差別でないことを切に願いますが、無理なんでしょうね。

 

アメリカでは「ポリコレ疲れ」なんて言葉が出てきていますが日本はまだ疲れるほどポリコレ勢が力を持っていません。アメリカの真似して日本人でポリコレ疲れなんて言っている人は、差別の言い訳を探しているだけです。疲れているにしたって何にしたってこの手の話で文句言ってるのは所詮弱者を虐げ差別する側の人間です。

 

以上。