東京・港区が南青山に建設予定の「(仮称)港区子ども家庭総合支援センター(いわゆる児童相談所&児童養護施設にあたるもの?)」をめぐって、区と近隣住民との間で争いが起きている、そうですよ。
なんでも、区が開いた近隣住民への説明会が行われた際に南青山の住民は、
「青山のブランドイメージをしっかり守ってほしい。」
「青山の価値を下げないで」
「なんで青山の一等地でそんな施設を」
「入所した子供が青山の裕福な人たちを見るとショックを受ける」
「もっと生産性のある施設を」
「(児相のお世話になる子は)自己責任!」
「DVは生活困窮者が起こすらしいから青山に来たらランチも食えない!」
「セキュリティーは大丈夫なのか!」
などと抗議の声を上げたというのです。今日はこの件について書いていきますよ。
目次
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この自称セレブ共からインテリジェンスを感じない
この反対方法はダメ。零点。隙あらばマウンティング、隙あらば差別。しかも相手を見誤っている。その発言で「青山のブランドイメージ」はどうなりましたか?防衛ラインと目される「ブランド価値の現状維持」を自爆の一撃で突破されていませんか?
「青山のブランドイメージをしっかり守ってほしい。」
「青山の価値を下げないで」
→青山には醜い差別主義者が割と多数いることがわかりました。この事実が青山のブランドイメージ、価値に影響がないと考えていることも。
「なんで青山の一等地でそんな施設を」
→青山在住というだけで選民意識を持っている人間がおり、その属性を根拠に、自分達にその施設は無関係で必要ないと思い込んでいることがわかりました。
「入所した子供が青山の裕福な人たちを見るとショックを受ける」
→入所する人間が貧困であると勝手に決めつけ、そいつらは自分らを羨望の目で見るという願望を投影しています。お人形遊びですね。見えない敵の中に、自らの貧しい心を見ているのでしょう。
「もっと生産性のある施設を」
→2018の炎上ワードがこんなところに出ました。察するにこれは、以前炎上したことを知っててわざと使ってるんじゃないでしょうか。本当にそこに生産的なものができることを願っているのではなくて、相手を傷つけたくて言っている。無慈悲であることがカッコいいと思っていてわざとこういう風に言う人は割と洒落にならないくらい世の中にいますからね。
「(児相のお世話になる人は)自己責任!」
→さすがに親は自分の責任で選べねぇんだよな、こりゃまいった。これもわざと言ってますね多分。仮にここを敢えて譲って被虐待児の責任だとしても、だからといって助けなくていいのでしょうか。子供が虐待されてる状況で、保護施設および保護の必要性の争点はそこなんでしょうか。アイツは生意気だから自己責任で保護しないとか、そういう話じゃないですよね。
「DVは生活困窮者が起こすらしいから青山に来たらランチも食えない!」
→これも見えない敵(お人形さん)を傷つけること&マウンティングが目的でしょう。貧困とDVは推測するに実際相関はなんぼかあるのでしょうが、相関があっても因果関係ではないパターンが存在するという事が理解できていませんね。このテの取り違いは様々な言論の場で非常によく見られます。
「セキュリティーは大丈夫なのか!」
→触法少年が来ることを念頭に入れていると思うので全く理解できなくはないんですが、だからって入所者をここまでひとくくりに侮辱していいとは思えませんね。公の場においてこういう事を大声で言うってのが随分セキュリティ意識に欠けると思うんです。自分が安全なところにいると思って他人を煽った結果…という事件が今年なかったですか。脇が甘くないですか。
もちろん全員がこんなではない、ないが…
施設に賛成の人も、積極的に賛成でなくても反対派のこの言い分には同意できない人も当然いるでしょうし、そう報じられてもいます。そりゃそうですよね。全員こんなのだったらそんな魔境からは仏陀も裸足で逃げ出すわ。
ただ、「地の人(昔から住んでいる人)はそういうことしない、ブランドイメージに群がって後から移り住んできた層が騒いでいる」
という言い訳めいた感じの事を「地の人」らしき人が言ってるのもどっかで見かけました。
なるほど、ブランドに執着してやってきた層は確かにそういう人が多いかも。
でもそれ、根は同じですよ、反対してる人の差別意識と。
「施設ができると変な新参が来て住む価値下がるわー」
「変な新参が来たせいで住む価値下がったわー」
行政の決定に従えとかじゃなくて
反対派の一部の人が、無理解に起因する差別意識・差別意識に基づく不寛容によってブランド価値の維持を図った結果、醜態をさらしてブランド価値を下げてしまいました。反対派を叩いて、はい終了!ではありません。
道義的に考えても反対する権利が住民にはあるだろうし、反対する事そのものが悪いのではないですね。行政が決定したものを何でも全部受け入れるべき!っていう話ではないという事です。青山に施設を建てることに決まったから、青山の一部住民が突然差別主義者になったというわけでもないでしょう。説明会がそれを表面化させたにすぎません。
今回の件は、例えそれが人権にかかわる施設であっても、区内に幾つかとか、もしくは人口何人あたりに幾つ必要とかそういう性質のものならば、もっと便利だったり、広かったり、安いところで建設可能な場所があろうかと思います。
ぶち上げられてしまった建設計画に反対を叫ぶならば、主張すべきはこの辺だったと思うんです。余計なこと言いすぎなんですよね反対派の人。じっさい青山は土地がべらぼうに高いので、港区内でもわざわざ「そこ」を選ぶ必要がないのは理解できるんですよ。税の使い道的な話ですよ。よそ者の私ですらそう思います。
行政の決めた南青山という立地。なんか怪しい。そして反対運動をしている側にも(名指しは避けますが)不動産業者のドメインにぶら下がったwebサイトを持っている、なんかよくわからん団体がある。何か怪しい。あんまり陰謀論を展開するといけないのですが、利権のニオイはしますよね。
でももう手遅れ。あとから何を言っても南青山以外の土地にこの施設を追いやったら冒頭の反対派の発言が取り上げられることになります。児相ができて地価が下がった前例があるのかは知りませんが(多分観測はされてないでしょう)、そのままここに完成して結果地価下がったら、施設完成&児相ネガキャン成功おめでとう!あれれ?って話になりますね。
ヒトが入っていないとそのハコに意味はない
家でも施設でも店でも金でもなんでもいいですが、ハコだけそこに突っ立っててヒトと何も関わりがなければ、それヒトにとって意味ないんです。意味とか価値をつけているのはそのハコに関わるヒト、そのヒトと関わるヒトとハコ、それら同士の「関係」なんですよ。生命は力なんだ!
ハコばっかり見てるから、高みの見物気分で平気でヒトを、関係を、蔑ろにするんですよ。ハコしか目に入らんから、ヒトのその行為が価値を落とすって思い至らないんです。そんなこと続けてるから目ん玉がどんどん濁っていく。
一気に書いてたらもう言いたかったことも終着点にしようとしてたことも忘れてしまったのでこの辺でおわりにしますが、この問題の構造、なんかに似ていませんか。