ブロブロスキーのブログ

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「『うつ病の経緯』シリーズに至るまでの経緯」と総括【体験談・一応完結編】

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年が明けてから、「うつ病の経緯」シリーズ、というのを書き始めて、私が就職してからうつ病発症、休職、復職そしてその後再燃して無職になって再就職するまでの一連の流れを記事にしてきました。

 

そもそも「うつ病」自体は「ブログ開設当初からオープン」だったのになんでこんなの1年以上隠してたかっていうとですね、当初の予定では、すぐ書こうと思ってたんです。だけど踏ん切りがつかなかったんですよね。というのも、前にも言いましたが、当ブログの開設日はあの超悲惨な事をコミカルに描いていた超有名ブログと同じですから小物がピーピー「自分の方が不幸だ」って張り合うみたいでイヤだったんです。解りやすい理由でしょう。

 

そのつもりがなくても、そういう競争をしているって思われること自体が嫌だったのですね。パワーゲームから降りたつもりなのが私の今の生き方なのに、趣味でやってるブログでそれやってどうすんだというところもあって。

 

それに、私に起きたことの顛末は、私の自害が未遂に終わったところ以外はあんなふうに劇的だったりしませんし、コンテンツとしては面白くないし。だから独自ドメインに変えてアクセスが陰ってるこの時期にこっそり上げておく物程度の扱いになったという訳です。

 

それじゃまぁ、うつ病の経緯シリーズ開始時の「就職」までの部分と、せっかくなので一連の記事に書いたこと、補足も入れて時系列でまとめてみましょうね。

目次

 

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幼少期までさかのぼる

記事群は就職から始まっていますが、そこでされた意地悪(パワハラ)以外にも、原因の一部として私の「育ち」があるであろうことが治療を受ける中で浮かび上がってきました。育ちとは、身体的または心理的な攻撃を親から繰り返し受けて育ったことです。(執拗に平手で叩く、真冬に家から閉め出す、容姿を馬鹿にする、成績が悪いと無視される、何か失敗すればすべて笑い話にされる、時にそのために失敗に導かれる、等、他多数。挙げればきりがありません)

 

「自分は自分のままでいいという安全感」を全く持たずに社会に放り出されてしまったわけです。その心の様はまるで瘡蓋のできる前の擦り傷であり、心の全面がそのような状態だったと言ってもいいでしょう。

 

同じようなスペックの人が、ストレスのかかるひとつの事柄に対して、耐えられる人と潰れてしまう人がいる、この差はきっとこういうところにもあるんだろうと思います。パワハラはあってはならんのですが、ある人が何故「その程度」のパワハラで潰れてしまうのか、を探るときには参考になると思います。

 

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実は思春期の問題もコレとつながっていたりする

こんな記事を書いたことがありましたね。当ブログではよく登場する記事なんですが。

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これが実は、幼少期の仕打ちで傷付いた私に追い打ちをかけています。私は自我が芽生えた時には既に肥満だったんです。さらにこの肥満の時期に親が転勤続きで中学時代にかけて転校をしまくり、色んな種類のイジメに遭います。そして、仲間全員にナメられた状態で思春期に突入。これが私の自己受容を著しく妨げました。同級生だけでなく家族も一緒になって私をからかっていましたし。

 

野球部に入って痩せてエースになっても、それが自己受容につながることはありませんでした。自己受容って何ぞやってのは別の記事で書きましたね。今考えると、これに気付くまで私はずっと自分自身に向かって存在否定の呪いを唱えていました。呪いを唱える自分、それは内面化した親であり、内面化したイジメ社会でした。 

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唯一自由だった大学~大学院時代

今考えれば独り暮らしで自由だったこの時期は本当に、勉強してても、ただチャリに乗ってても、何してても楽しかった気がします。フラれても楽しかったし、自分を生きていた、そんな気がします。

 

でも私はこの最強の青春の大半を片思いにささげてしまいます。ただし私はこれを(キモいけど)悪いとは思っていません。悪い思い出でもありません。ただ偶然、この記事にあるように片思いの相手と連絡を取らなくなった時期が就職から1約年半後、「やらかした」時期と同じ時期だったりします。

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個人的には片思いの人と連絡が途絶えたことと私が死を選ぼうとしたことには関係がないと思っています。だってやらかす瞬間、この人含めて「人」の顔は誰一人思い浮かばなかったですから。

 

しかしこの片思い、これも結局偏ったこだわりで自己受容を妨げてたんでしょうかね。大学時代も異性から有難い話はいただいていましたが、これのために交際には至りませんでしたし。この片思いにこだわったのは自己受容ができていないが故のただの執着だったとは思いたくありませんが、そうだとしたら、私の愛は歪んだものなのでしょうか。認めたくないものですね。

 

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そして就職して…

このくらいの背景があれば、シリーズ初めの記事を読んで「なぜそうなる」と言わなくていいようになるかもしれませんね。いや実はここまで、過去の記事で書いたりほのめかしたことばっかりですけど。この辺を加味して改めて読むと味わい深いかと(胸糞悪さが、ね)。

 

こうして過去に心に取り込んで内面化して(自分を立派にしたと内部で完結して勘違いして)きた残酷な親、残酷な社会が、自分の外側から牙をむいたその瞬間に、殻は破られ私は潰れてしまった。それがこの事件だったのだと。

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と、まぁこれが「後になって客観視した、うつ病の経緯」です。この経緯が客観視できずに復帰したから再燃して再休職したのが、この辺です。

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そして実はもはや復帰には致命的となったことに気が付かずにリワークプログラムに参加して、カウンセリングを受けて、「人間の心」に対してすこしずつ今みたいな考え方ができるようになっていったという訳です。

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こういう気付きの連続を経て、私は当時の大手メーカ勤務は向いてないなということにハッキリ気が付いていくのですね。

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そしてアラサーにもなって自分探しで冒険家みたいなことしていたところ、拾われました(この辺の詳細は秘密)というのがこの記事ですね。

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心の問題は解決したのか?

ぶっちゃけると全然解決していません。未だにドタ休しそうになりますし、勤め人なんてやめたいと、無理だと常に思っています。自分を追い詰める思考癖も消えていません。ただ、今は「周囲の人に恵まれていること」と、うつになった原因を自分で客観視できたことで「人を選べるようになった」のでなんとか再燃せずに綱渡りを続けているのです。職場には「うつクローズ」なので本当に綱渡りです。いつ辞めてもおかしくないです。

 

通院も続けていますし、うつ病の症状も出ます。片思いもまだやっています。自己受容も練習中です。親に会うと調子崩しますし。完全に解決なんてしないでしょうね。このシリーズ書くだけでだいぶ体調に支障がありました。自分を真っ直ぐに「のす」つもりはありません。土台(自己受容)はしっかりしてるけどそっから先は何かヒネてる人間のほうが接してて私は面白いと思いますし。

 

・・・と、この様に私は「うつ病」になり、それとお付き合いしています。まとまったのか逆にとっちらかったのか分からない記事になってしまいましたが、こういう流れだったわけですね。これで最終回です。おわりです。