岸見氏のアドラー心理学の(誤)訳書の二部作によれば、「アドラー心理学ではトラウマなど存在しない」「今すぐこの瞬間に幸せになれる、幸せになれない人は幸せにならないという選択をしている」と主張しています。
ハッキリ言わせてもらうと、この考え方は明確に間違っています。科学的に。なぜなら、幼少期の長期にわたる(心理的なものを含む)虐待や、継続的な拷問によるトラウマによって人間の脳が委縮することが科学的に証明済みだからです。どのような虐待がどの部位の脳を委縮させるかまで、解明されつつあります。つまりアドラーの、否、岸見氏のアドラーの解釈の間違いは既に白日の下にさらされているのですよ。
過去の悲惨な経験によって脳の委縮した人間と、していない人間のとる行動が異なることくらい、中学生でもわかりましょう。トラウマは脳の委縮として確実に存在し、現在の人間の判断に影響を与えるのです。
このような研究に明るいのは福井大学の友田明美先生です。発表資料などに目を通されれることをお勧めいたします。
http://tomoda.me/staff/tomoda.html
精神科医としてのアドラー(娘をシベリアの収容所で亡くし、多くの弟子をナチスの暴挙によって失った)は、「自らの考え方次第で人生はどうにでもなる」などと正気で考えていたのでしょうか。アドラーは彼らにも「あいつらは結局、不幸になりたいから不幸を自ら選びとった」と正気で考えていたのでしょうか。それ本当でしょうか?そうだったらアドラーの考え方えげつないし、違うなら岸見氏の読み方ヤバいでしょ。
岸見氏は、そんな言説を日本で書籍化することに、何の躊躇もなかったのでしょうか。心理学をやるものとしての資質を疑わざるを得ませんね。
目次
- 「合う人と合わない人がいる」という言い方
- アドラーは古い心理学だから、哲学と考えたほうが良いという言い方
- アドラー氏、軍医の経験もクソの役にも立たず
- アドラーが自己啓発の源流?
- 2017/12/23追記:誤解を避けるために
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「合う人と合わない人がいる」という言い方
これはもう狂気の沙汰です。人間のものの考え方の領域で、たかが科学に簡単に否定されるようなものに合うも合わないもありません。間違っているのですから。
あれは今なおトラウマや(複雑性を含む)PTSDに苦しんでいる人たちに対して自己責任論を唱えるのに都合がよいために支持されているだけであって、それを言う人に「合っている」のではありません。間違った言説を広めているだけなのですよ。デマニュースが、そういうのを望んでいる人にすんなり受け入れられ、しかもデマと分かった後もそれが認められないのと同じ構図です。
アドラーは古い心理学だから、哲学と考えたほうが良いという言い方
こんなことを岸見氏は仰っていたようですが、よく考えてみてください。哲学は科学で論破されない理論武装をきっちり行って論を進めます。哲学は前提を疑うのですから当たり前のことです。その上で思考実験などを行っていくのです。アドラー(の翻訳として岸見氏の出した本)は完璧に科学によって論破されていますよ。どの辺が哲学なんですか?19世紀以降の哲学に、(少なくとも当時の)科学に一瞬で論破される哲学なんてありましたかね。例があれば教えてほしいものです。
アドラー氏、軍医の経験もクソの役にも立たず
アドラーには実は軍医の経験があります。もちろん、現地の兵や帰還兵がPTSDに苦しむ姿は何千とみてきたことでしょう。そんなものを見ながら、その苦しむ人たちは自己責任と切り捨てて彼が大切だと語ったのがなんと「共同体感覚=共同体への愛」だったのでした。これは簡単に言ってしまえば全体主義であります。岸見氏の本でも、読み込めばそういう風に書いてありますよ。これは日本人のブラック労働環境に実にピッタリくる感覚だったりするので、この本がバカ売れするのですねぇ。
アドラーが自己啓発の源流?
はは。やめときなはれ。
2017/12/23追記:誤解を避けるために
こういうことを言っています。
「目的論的立場をとると好転することがある」
→わかる
-----たぶん(読んでないけど)アドラーが原著で書いたの此処までです
「だから原因論は無力」
→その理屈はおかしい
「だからトラウマは存在しない」
→嘘つくのやめてもらっていいですか?
「トラウマ訴えるやつは過去で不幸になっているのではなく不幸を選んでいる」
→もはや誹謗中傷。お前、アドラーの「課題の分離」できてないよ、ブーメランだ
「これは哲学」
→科学で論破される現代哲学なんて聞いたことがない
+藁人形論法で本を書くような腰抜けが哲学語るんじゃねぇ
短く言うとこんなところです。