現代人、答えばっか早急に探しすぎじゃないですか?主語デカい?そうですね、ごめんね。他の主語が思いつかなかったボキャ貧なんです。
答えが出ないことに思いを巡らすの、楽しいですよ。何でもググってウソかホントかわからない「説」を「答え」と思い込む作業よりはずっと、ね。
答えが出ないことって例えばどんなことかって?もうそれ聞くの?それですよ。すぐ答えを求める。あなた、考えても答えの出なさそうな事を、自分で一個でも考えた?それのこと言ってるんですよ。まぁ私も意地悪ではないからひとつだけ例を出しときましょう。
「なぜ世界が有るのか。否、少なくともなぜ、私は”認識”をしているのか。」
とか、こんなんでいい?これが答えが出ないことの例として正しいとか間違ってるとかじゃないですよ。んで私が言いたいのはその、「答え」をすぐ要求する姿勢のことです。あなたが立派な例を出せるかどうかなんか、どうでもいいんです。考えたか?って聞いてるんです。
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私はなぜこんなことでラジカルになっているか
嫌味っぽいこと言ってごめんなさいね。昨日、この金曜土曜で、古くなった記事で検索アクセス集まってない記事のタイトルいじるって言いましたよね。この記事で。
こういうことするためには当然、どの記事は検索アクセスあってどの記事はないか、調べなきゃいけませんね。んで、調べたんです。検索アクセスある記事の傾向としては、こうです。
①ハウツー系記事:目指すべき形(答え)、そこまで到達するまでの練習法まで解説
②記事が答え系:効果効能、レシピ、小ワザ、問題解決、体験、ブログいじり
③旅行記系:文字通り、観光ルート(つまり答え)
答えばっかりなんです。検索の読者は、答えのとこだけ見てピューと帰ります。禁煙の記事なんて、みんなどっかの禁煙記事に検索でたどり着いたあと、最終話だけ見て離脱です。結果だけ見るんかい。アナリティクス見てひとりでイラッとしてる時があります。
ブログはそういうもん、グーグルが評価するのは、答えを書いてるページ。そりゃわかるんですよ。でもね、私が一生懸命書いてるのはそういう記事じゃないんですよね(泣)だから、腹立ってるんですよ。やり場のない怒りってやつです。
は?じゃあ何を一生懸命書いてるの?
ほら、また答え聞こうとする(笑)あのね、私が力説したいのは最近で言うとこういう記事なんよ。
これはね、巷に死ぬほどあふれる「自分改造」系の言論(つまり単純明快な人生の答えみたいなもの)はヤバいよ、自己受容の土台をつくってからでないとどんどん自分嫌いになるよって力説してるんです。でもこういう記事は検索では箸にも棒にもかからない(まだ新しい記事だからわからないけど)。これ、スキーの検定取るよりみんなにわかってもらいたいことなんですよ。
他には、これも新しいからまだ結果は解らないけど。
人生に当事者意識がなくて誰か(つまり、答えのようなもの)の劣化コピーになってやり過ごしてたらアンタ何者にもなれませんよ、まぁ別にならなくてもいいけど、自分の人生を他人のモノサシで測って生きるってツラいよっていう記事です。これタイトル変えなかったけどこんなん何の検索ワードに引っかかるんだろうね(笑)でも、こういう記事が、本当はメッセージとしては多くに伝わってほしいんです。スキーの滑り方よりもね。
この記事の中で私が一貫して何言ってるか
思考停止するな、考えるのをやめるなって言ってます。特に答えを探すとき。冒頭で私が例に挙げたような変なのばっかりが「答えのないこと」の典型ではないです。日常にいくらでも転がっています。
でもそこには「謎の答え」が与えられてることが多いんです。日常で出くわす問題に与えらてれる「答え」らしきものって、だいたい「誰かの都合」です。つまり「常識に訴えて誰かが得するように仕向けられた誘導」なんですよ。ネット調べて出てきたものもです。
答えらしきものを見つけても、何故それが常識であるかのように扱われているか、根拠あることなのか少し疑ってみましょう。