ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

選挙に「行かない権利」があるんだと。

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珍しく、新聞から引っ張ってきて記事書いたりしてしまいます。

中日新聞のインタビューに出てきた20代の若者曰く、選挙に「行かない権利もある」だとよ。強制される筋合いはねぇって。


あのね。選挙ってのは権利の行使をする場だ。ということは、行かないのは権利の放棄なんだ。だから、行かない権利なんて無ぇよ。行かないのは自由。

「意見を表明する権利を放棄する自由」か。おぅ、ま、好意的にとらえればなかなか哲学的やん。でもね、声高に主張するもんじゃないね。

 

www.chunichi.co.jp

若者の貧しくなる自由だっけか、そんなこと言ったやついたなぁ。それですよ。(悲しいねぇ)

 

嫌味を言うのは置いといて、こういう発想に至る理由を考えないといけませんよね。

「行かない権利」という言葉からは、選挙というものを「目上の人間に言われて、行かされるもの」という風にとらえていることが透けて見えます。

 

この「行かされるもの」というとらえ方の背景には、大人への反発、インテリ層への反発、権力者への反発のようなものがあるのでしょう。

 

自己イメージを既に自分を何らか(あるいは、あらゆるもの)の「下位」に位置づけていて、権利を行使することに意味を見いだせていない。無力感に支配されているからこういう「上位の何か」との対立軸ができるんでしょ。

 

こんななかで、「若者は選挙に行かない(から、ダメだ)」としきりに言われることによって「行ってやらねー、俺たちは自由なんだ」とくるわけですね。選挙に行かないことで、「上位の何か」を困らせてやろうとしているわけです。それが「白紙委任=搾取フリーの表明」だと気付かずにね。

 

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ここで私が、「若者はこんなにアホなんです」「この世代はこんなに悲惨なんです」と、どっかで見たような「若者叩き論」を展開するのは簡単なんですけどね。

 

よく考えてみてください。子供ってのは、親、教師を筆頭に大人たちが育てるんです。子供は、若者は、大人たちの鏡ですよ。

 

日本は今でも、世界的に見て教育水準(識字率、基礎学力)は高いです。でも私が小中学校の時でもそうですけど、人類の歴史の中から「普通選挙」について特段切り離して選挙についてだけ系統立てて学習することはなかったように思います。

 

私は世代的にはゆとりより少し前ですが。○○国ではここで普通選挙になった、日本ではここで誰々と誰々に選挙権与えられた、いついつに普通選挙が実現したとは習いましたが、その権利が勝ち取られていくまでのストーリー性皆無だったでしょ。

 

日本の教育じゃ、偉い人が自主的に選挙権をどんどん拡大して行って、「俺たちも参加しなくちゃいけなくなった」くらいの認識になる可能性はあるのかもしれませんねぇ。

 

選挙権は先人たち(日本人の先人ではなかったかもしれませんが)が命を懸けて勝ち取ってくれたものであり、いま我々は特定の誰かに投票するときに命を狙われたりしませんね。それ自体をありがたいと思わないとね。そういうストーリーを教育しないとね。

 

大人たちが若者を抑圧してきたからこそ、「行かない権利がある」などと言って反発する人間が出るに違いない!そんな風に思った秋の雨の日でした。