酒もタバコもやめて夏は魚釣り三昧の人間になろうとしているオッサンの私です。え?つまらない?それは他人が決めることじゃないぜ。見栄と虚勢で疲弊しきった奴にはわかるまい。
チャンピックスで禁煙シリーズもとうとう10日目になりました。
シリーズをはじめから読まれたい方はこちらからどうぞ。
前日なんやかんやとブーたれながらも、入院した時以来の「タバコフリー」の1日をなんとかやり過ごすことができました。
あとはこれを繰り返すだけ。繰り返すだけなんですが、まだ禁煙を開始してから「あること」をやっていません。お盆でしたから。そう、仕事です。
仕事の日にもちゃんと吸わないでいられるか、というハードルが禁煙3日目のこの日にあるわけですね。
とはいえ前から職場は禁煙ですし、いつも昼休みと仕事上がりにしか吸ってなかったんですけどね。むしろいつでも吸えてしまう休日の方が危険かと。
そんな希望的観測のもと、生まれ変わった私の初仕事の日です。
目次
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チャンピックス10日目・禁煙3日目(2017/08/17)
なんか変な夢を見て目が覚めました。(これはチャンピックスの副作用かもしれない)
夢の内容?書くようなことではないですが、「前の会社の知人たちが私の退職を祝って牛丼屋に連れて行ってくれて、私が感動して泣く」という超・意味不明な感じでした。
さて寝起きの喫煙欲求ですが、大したことなかったです。起きた瞬間タバコの事を考えはするものの、「あ、やめたんだった」と思い出したらもう特に吸いたくはなくなっている感じです。
目玉焼きを食べてチャンピックス服用。食後の喫煙欲求もきません。順調順調!
職場に入る前の喫煙欲求も特になく、そのまま到着。ここの時点で最後の喫煙からだいたい48時間経過です。72時間くらいでほぼほぼニコチンは体から消えるらしいので、今日を乗り越えれば身体依存は抜けていくということですね。
さて仕事です。まぁ大型連休明けの午前なんてメールがクソみたいに溜まっててまずそれをさばくところから始まって、のんびり連休の話なんかをしながら何の仕事が残ってたか確認するくらいのもんです。
問題の昼休み。いつもは外に出て喫煙所に直行して吸ってからランチ、そしてまた喫煙所という流れですがこれを変えなければなりません。
とかって、たいそうな事のように言いますけどね、もう「タバコもライターも持ってない」んですよ。買えるとこもちょっと遠いですし、これでは吸う気にもなりません。楽勝で昼休みをやり過ごしました。簡単です。買わなければいいのです。
午後は長ったらしい会議が3つあったのでもうそれだけでほぼ終わり。
職場を出たら、ジワジワーッとタバコが吸いたくなりました。これも「でも持ってないし!」と念じたら解決しました。
そのままコンビニに近いとは言えない自宅に帰れば、もう今日はゴールも同然です。これで気付いたんですが、もう普通の日は大丈夫。買わなければいいんだから。買うのめんどくさいし。私は酒もやめていますから、酔っぱらって気が緩むこともありません。(これは大きなアドバンテージ)
となれば、あと解決すべき課題は会食の席などでの「もらいタバコ」だけです。今日はその誘惑はなかったですが、今後は悪魔の囁きをしてくる人がいないとも言いきれません。
1本あげるよって言われたら・・・これは対策考えなければ。「いらん!」は言えそうですけどしつこいときはマズイかもしれません。先日編み出した秘技・「エア喫煙深呼吸」だけではこれをやり過ごすのは難しそうです。
貰いタバコ対策は、ひとまずペンディングしておきます。まだなさそうなので。
こんな感じで仕事初日、吸わずに過ごせました。
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余談:「チャンピックスで禁煙しても意味無い論」
以前紹介した「チャンピックス脳に作用するから危険論」とともに、禁煙に関する多くの検索キーワードで上位に出てくる複数のところで囁かれています。個人的には有害な情報だと思うのでリンクは張りませんけど、
薬に頼ってその時だけやり過ごしても意味がない
↓
なぜなら自力で禁煙しなければ精神的な依存から抜け出せないから
↓
薬に頼るのは悪!病気は自力で治さなければ意味がない!自然治癒力!
と、だいたいこんな論理展開です。
まず「ニコチン依存症」の定義のとこをwikipediaから引用しておきましょうか。
常習的な喫煙を継続した結果、薬物依存症と習慣依存と認知の歪みによって、自らの意思で禁煙をする事が困難になった精神疾患を指す。
禁煙が自力では困難なことが、病気の定義に入っています。この時点で2行目3行目が終了しています。というか、自力で治すって根性論の医療全否定やんけー!
この定義からして「自力でやめられた人はガチでやめられたから自力でやめるのがガチ!」というカッコいい主張は生存バイアスに塗れていて、困難を乗り越えたことを善しとする単なる苦労礼賛主義なのは明らか。これを言うことによって積極的に自らの病気に対する無知と、自らの発言の誤謬を指摘しているに等しいんですよ。
他の病気でもそうするのかって話でもしましょうか。ニコチン依存症は直ちにではないけど命に関わる病ですので、あえて直ちに命に関わるところから例を引っ張ってくることにしましょう。自力でやめなきゃ意味ないって人はこうしますか?
「手術、抗がん剤を含むがん治療は甘えなのですべて拒否して、自然治癒力のためにひたすらがん患部を温める」
もし医療は甘えだから自力で治すためにそうするんだと言うなら個人の自由だけど、そういうのは絶対に流布しないで自分だけでやってよね。これ真面目な話です。さて、禁煙自力派の人もさすがにここまで根性論者じゃないでしょう。気付いていないのですよ。
「チャンピックスで禁煙意味無い論」が上と同じロジックを含んでいると気付かないのはニコチン依存症が病気だから治療するという認識がないからですよ。病気だと言われてることは知っていても病気だと思ってないんです。いや、「根性の病気」だとすり替えて誤解していると言えばいいでしょうか。
別に「他にこんな禁煙方法もあるよ、俺は上手くいったよ」はセーフだし、「チャンピックスの成功率計算方法が恣意的ではないか」と指摘するのはセーフですよ。
だけど臨床試験を経た薬や治療法、医学における現時点での第一選択肢に対して個人の感想やスポ根的精神論でもって「絶対使ってはダメ」「絶対失敗する」「医者は間違っている」「製薬会社等の陰謀」などと書くのはいかがなものでしょう。チャンピックス服用終了後の再喫煙が(その人、個人の)経験上多いというのは、自力で禁煙した方が良いという説のどのへんを強め得るんでしょうか。論理的にも倫理的にもそれでいいんでしょうか。
上の引用で見た定義に戻ってみましょう。依存を構成する因子は3つ。チャンピックスの作用を考慮すると、ニコチンを含んでいないので薬物依存は服薬して禁煙してるうちにニコチンが抜けていくので解決します。習慣依存は、吸わなくなってからも長期間服薬を続けることによって吸う習慣がなくなっていき、解決します。
そう考えると、この手の精神論が言いたいのは多分、「認知の歪み」のところなんでしょうね。これを「精神的な依存」とかって表現してるんでしょう。
認知の歪みとは「タバコが必要だという思いこみ」の事でしょう。これは確かに問題なんですよ。でもこれだけを殊更に問題視して、他の依存を形成する因子を矮小化して語ってはいけない。
精神的な部分は文字通り精神論がまかり通りやすいですね。「ほんとはタバコいらないよね」っていう気付き自体はとても大切だと思いますよ。そこは否定しません。
でもその気付きはむしろ「自らの意思で禁煙をする事が困難」な状態でいるよりも、「薬に頼ってタバコを吸っていない」とか「タバコがマズい」状態の方が得られやすいと思いませんか。だってタバコは必要ないって、「我慢してる時」じゃなくて、「吸いたくない時」に気付くんでしょう?どっちがその境地に至りやすいんでしょう。なにか自力禁煙の方が近道になる根拠はあるんでしょうか。知りたい。
医療に頼らず病気を自力で治した!苦労した!とか自慢されても「ああ、そうでっか」としか言えませんわ。だからお前も苦労しろ!って言われたら「イヤ」としか言えませんわ。結局これ系に行きつくのか。考えて損した。
つづく