先日のテレビ番組で池上彰さんと陣内智則さんの間で面白いやり取りがあったそうですね。
私は番組は見てなくて、この記事を見て知ったんですよ。
簡潔に言えば私は「イイハナシダナー」と思いました。この部分。
陣内は「池上さんはどう考えているんですか?」と質問をする。池上氏が「それはみなさんに考えていただくために、これまでの色んな材料を…」と解説の趣旨を説明したが、陣内は池上氏の返答をさえぎり「でも、池上さんが一番正しいとぼくは思ってるんです」と語り、笑いを誘った。
さらに陣内は「たぶん全国の人も思っている」と池上氏を持ち上げる。しかし、そんな陣内に向かって池上氏は「それが一番危険なんですよ」とピシャリ。「自分で考えないで『池上がなんて言うんだろう』『それに従おう』っていうのが、民主主義では一番いけないこと」と強烈なダメ出しをしたのだ。
これを読んで陣内はアホだ、池上が正しい!と思ったのなら、もう一度ここを読んでおいてください。
「自分で考えないで『池上がなんて言うんだろう』『それに従おう』っていうのが、民主主義では一番いけないこと」
アホと言いたいのはわかりますよ。付和雷同とはこのことです。結局意見(答え)は聞けず、論破されています。でも、「従う」のがまずいのであって、自分より詳しい人の意見を参考にするのは「アホ」に直結しませんし、他者を正しいと感じることもイコール「間違い」ではありません。「服従のポーズをとる」というヨイショの仕方が拙かったんですね。ええ、これ以上陣内さんを擁護できませんが。
私は別に池上さんのファンではないです。ただ、このやり取りは好きですね。テレビ番組ですから台本があったのかもしれませんが、こういう指摘はどんどんしていってほしいなと思います。
台本なのだとしたら、「庶民代表役」で出てきてる人に「無知でーす」ってチャラけさせて笑いを取るっていうのはやめてほしいですね、どう面白いのかさっぱりわからんし。「笑いを誘った」って多分効果音入れてるだけでしょ。
目次
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どの辺が「イイハナシ」だったのか
「わかりやすく説明する」事を徹底している話者が、「わかりやすさ」への全面支持に対してその危うさを自ら指摘したところです。
アメリカ大統領選挙中のトランプ氏は意図的に中学生レベルの語彙で話していたといいます。わかりやすかったんでしょうね。人間、わかると気持ちいいものですから。それが支持を集めた要素のひとつだったことは間違いないでしょう。
日本でも、「単純でわかりやすい」が支持されて選挙で大勝、というパターンはありました。たとえば小泉元首相のときとかですね。
この人たちは政治家ですから選挙で勝つためにやってるわけで、「わかりやすいからって、自分の利害を無視してでも支持するのは危険ですよ」って言ってくれませんよね。それどころか「これが民意!」と来るわけです。
先生役として登場した池上氏が、自分の説明のわかりやすさへの支持に対してこれをきちんと指摘した。「従うから意見(答え)を聞かせて」と言われても自分で考えるように促した。これってすごく教育的でしょう?いい先生じゃねーか、と。そんなところが気に入ったわけです。
この話、「アンチ」も同じロジックで危険
○○新聞だからこの意見はダメ!とかそういうのですよ。内容を見ずに話者を見て反射的に叩くのは同じ形式の思考停止でしょ。
反対意見を言うために結論ありきで論を進めるのは、ある意味操られているんですよ。叩くためには言葉を紡がなければいけませんから、その辺は盲目的な服従よりはマシなのかもしれません。
自分で考えて失敗するのは「学び」
失敗は悪いことではありません。たいていの人は(私を含む)だいたいの場合、誰かが考えたことしか考え付きません。自分の専門分野でさえ、考え付いたことを特許検索してみたら既に権利化されてるなんてことはザラなんですから。
たとえば選挙の争点について、今ある知識を土台に「過去に誰かによって論破された事柄」を考え付いたのなら、これはある意味失敗かもしれません。
そしたら、土台の知識を足してまた考え直せばいいでしょう。失敗を悪と見るのは危ないですよ。病みますよ。失敗はこの世の終わりではないんです。学ぶチャンスなんですよ。
誰にも見向きもされない、支持されない事を考え付いたとしても、それは間違いとは限りません。この場合、(まだ)失敗ですらない。自分の考えとしてそれは持っておいていいと思います。発表しておけば、いつか陽が当たるかもしれませんね。