みなさん、社会に貢献していますか。私は・・・自分の感覚としては、していないと思っています。私の仕事は、私が辞めたらそれを誰かがやるだけですし、私がチームで、職場で頑張っていることは我々が止めたら他の誰かがそれをやって金儲けをするであろう仕事です。税金は払っていますが、私が利用している公共サービスにかかるお金は、払っている税金よりきっと額が大きいでしょう。
私の仕事は、言ってみればパイを奪い合っているだけです。いや、これも社会貢献なのかもしれません。競争をすることによってより良いモノ(サービスを含む)が生み出されるスピードが上がり、「見えざる手」が働いてモノの価格が適正になっていくという論理を信じるなら、ですけど。でもそんな「見えざる手」は現代に存在するでしょうか。
目次
- 例えばこんなのは貢献してますか
- 貢献してます
- ちょっと時代が変わったと思う
- あらゆる人に向けたブランドがもう用意されつつある
- そもそも社会成り立たせないといけないの?
- 私は嫌だと思いつつ、経済を回しています
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例えばこんなのは貢献してますか
競争相手ばかりが過剰でダンピングの泥仕合になっているところってたくさんありますね。あれは経済を回すのが目的化、つまり「ない」ところに仕事を作ることが目的化しているからだと思います。それは社会に貢献しているでしょうか。
極めて小さい文字で「※個人の感想です」と表示し本当に個人の感想だけを電波を使って垂れ流して売られている、個人の感想以外に根拠のない健康用品とか、社会に貢献してるでしょうか。
携帯大手の横並び商売はパイの奪い合いというより分け合いです。あれは社会に貢献しているでしょうか。
石板をつついてデータを売り買いするガチャゲーはどうでしょう。
貢献してます
日本も含め多くの国が採用している価値基準でいくと、これらはすべて貢献していることになります。経済を、カネを回しているからです。極端な話、穴を掘って埋めるだけの公共事業でも貢献しています。
なぜ経済を回すのか。それは資本主義社会を成り立たせるためですね。
ちょっと時代が変わったと思う
とにかくモノが必要で仕方なかった時代は、作ったモノそのものがマジで社会の役に立っていたのでそれがイコール豊かになる道だったのですが、今はそうでない(と私が感じる)ものが増えています。だからこうして「ほんとに貢献してるの?」「何に貢献してるの?」って疑ってみているのです。
単なるパイの奪い合いでも、根拠がなくても、「ホントウに良い物」が他にあっても、いろんな(芸能人を使うとかの)手法で(ホントウは一番良い物ではない)「自分たちの」モノ・サービスを選択させることで経済を回す(極論すると、ホントウに良い物を選択させないことによってお金を稼ぐ)のは、貢献でしょうか何でしょうか。(ここでいうホントウに良い物とは何なのかというのは議論せず置いときましょう、「必要かつ最適なモノ」とでも置き換えてください)
あらゆる人に向けたブランドがもう用意されつつある
知っている人からは「記号消費社会からは抜け出せねーよ!」と言われそうです。
私は抜け出せていませんが、それも疑っているのです。
そもそも社会成り立たせないといけないの?
誰かが金を払って自分が売るものを買うから、さらに言えば誰かがお金を払って自分を雇うからといって、それをもって自分が社会に貢献しているとするのは本当に正しいのでしょうか。無理矢理でもそうだとして、「そのようなカタチで社会貢献」しなければならないのでしょうか。もっと言えば、どのような形であれ「貢献」はしなければいけないのでしょうか。いやそもそも、資本主義社会は「成り立たせなければならない」のでしょうか。
私は嫌だと思いつつ、経済を回しています
新しいだけの新しいモノが経済を回すためだけに経済を回す。そんなのやめだ!嫌だ!私は貢献しない!と言ってしまいたくなる、とある平日でした。これが多数派にならないかな。はい、乱文失礼しました。言っときますけど私は共産主義じゃないですよ。