コンビニで後ろに並んでた大学生っぽい女性2人が「ポイントカードはお餅ですか」という有名コピペ(知らない人はググってみてください)の話をしていたのをこっそり聞いていた私です。
何年前のネタだよ、と思いましたがまとめサイトか何かで今知ったんだな、そういう時代か、と思っていたんです。
・・・なんですが、盗み聞きを続けていると彼女らはそのコピペがなぜ面白いのか(勘違いしているのは「ぼく」であること)を理解することなく「お餅ですか」の部分がおかしい、面白いと言って笑い続けていたことに気が付き、愕然としました。
彼女らがアホだという話ではありません。ブログでもSNSでもそうですが、ものを書いていると、意図が全然伝わってないのに共感されていたり反論されていたりウケていたりすることがあります。文章に比べれば少ないですが、対面で喋っていてもそういう場面はありますね。
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私もアホたりえる
私が文を読む時だって(わざとそうする時もけっこうありますが)書き手の意図を外して読んでしまっていることなんて日常茶飯事でしょう。
ぶっちゃけると私は冒頭の2人をアホだと感じたんです。しかしよく考えてみるとその一方で、2人のあいだに成立している会話の中で笑いが起きるタイミングを予測できていない私がいます。
私は2人が共通に理解しているであろう多くのことを知らないから、私も同様に文脈の読めないアホとなりえるのですね。「ここが面白いところなのに」って説明される側になりえるってことです。
書き手の意図を正確に知ることはできるか
こんなことをコンビニで前の人が公共料金払ってたから2分ほど並ばされた時に考えていたんです。いらんことですね。私、いらんこと考えるの好きでして。
文章を読むときには書き手の意図通りに読むのが正しいと考えがちですが、本当にそれを目指すならいちいち著者に説明を受けに行かないといけませんし、いや、説明を受けたとしてもそれもまた言語ですから意図を説明してもらわないといけません。無限ループです。だから正確にそこにたどり着くことは不可能です。そもそも著者が亡くなってしまったら、その意図というやつはどこにも見つからなくなってしまいます。どっかに浮いてたりするんでしょうか。エライ先生が決めるのでしょうか。
否。そもそも最初から読み手にゆだねられているのです。
ポイントカードがお餅なのが可笑しいという解釈は別に間違ってなどいないのですね。「そのコピペがなぜ面白いか理解していない」などと勝手に決めつけてはいけなかったのです。
結局のところ
でも、やっぱり、ほら、さすがにあれはアホだと思いますよ。