ムカついています。他人の仕事の手伝いばかりしています。手伝いで残業させんじゃねー。残業大嫌い。今、誤変換で「残業代嫌い」って出ましたが、残業代は嫌いじゃないですよ。むしろ好きですね。
仕事との距離感について悩んでいるんです。私の方はあからさまに距離を取ろうとしてるのに、カマキリの卵みたいに年末から私の四肢にへばりついて、私の四肢の上で年度末に何か産み出そうとされるとムカつくんですよね。それでいて私はそこで「枝」をやっていただけでしょ、とくる。そりゃームカつくよ。
「仕事では何も生み出してやらねー」というニート宣言ではないですよ。踏み台にされてる感が出るとムカついてくるんですよ。踏み台にされてる時って、台の人間の負荷が一番高いのに、上であれやこれややってる人たちが何もかも決めてしまうし、下で踏ん張ってた人は忘れ去られてしまう。
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ブレストで「請求項1」になるキモを言ったのに特許の発明者に名前入ってない的な怒りが、仮説実験考察まで私がやったのに教授が筆頭で論文にしちゃった的な怒りが、最近仕事に対してあるんですよ。例えがわかりにくいのは具体的に書けないからです。今はそういう仕事ではないですけど、そういう仕事を昔してたのでそういう例えになっています。
私は前の会社を辞めて一時期無職だったことがあります。だから、何ともつながっていないというディストピア感はわかります。「所属する」「参加する」という感覚は、人間が社会的な動物である限り、生存本能との兼ね合いで切り離せない、捨てられないものだと思います。
組織にしがみつく理由なんて、上記の所属の欲求を満たすことと、自分の構想に金を出してもらうことくらいしかないわけですが、「所属してる」のところからずいぶん「侵入」してくる。やり過ぎなんですよね。共依存というか、依存ネットワークが出来上がっちゃっている。
「みんなでやってる」、「みんな頑張った」感を出すために誰がそれをやるのかがあいまいにされているものが多いんじゃないですか。誰の仕事なのか線引きがあいまいなまま「みんな」を持ち出すとサボったもん勝ち、否、他人にやらせたもん勝ち、他人を踏み台にしたもん勝ちになるんですよね。
私は当ブログではサボってるキャラに見えるかもしれませんが、それは力の入れ具合を加減してるだけです。決してサボったもん勝ちを推奨しているわけではないんですよ。
もう誤解を生みまくりそうな文章だから補足を加えて行きますね。私が「サボったもん勝ち」を糾弾するのは「私が苦労してるのにずるい」といったバカげた嫉妬ではなくて、誰がそれをやり遂げたのか分からなかったら、拾い上げて称賛しなかったら、組織は停滞しますよって、組織に向けて言っているわけです。
プロジェクト、うまくいったねぇ、「みんな頑張った」じゃないんですよ。こいつのこの視点があったから物事がこれだけ進み、こいつがこれだけ作業したから問題点が明らかになり、こいつのこのアイデアがその問題点を解決した、そこを「みんな頑張った」で済ませるんじゃ、たまたま上手くいっただけでその組織、優秀な人から去って行きますよって話です。
組織がどうなろうが勝手なのですが、私は今この悪い意味で本気出さず過ごせるこの組織を結構気に入っています。だから、そういう方向に加速していてほしくないなぁと思うんですよ。今度、おエラのいる会議で思い切って言ってみようかと思います。