昨晩、うっすら雪が積もってるのに傘さし片手運転の自転車を見ました。危険行為とかじゃないですよね、自傷行為ですよ、もはや。
その人は多分、いつも自転車で通勤してるんでしょうね。だからいつも通りにしたんでしょう。こうやってルーティン化してるからという理由で明らかに危険な場面でも同じことやってしまう(その結果事故が起きる)っていうのは別に特別な事じゃないんですよ。今回目撃したものの場合、目に見えて危険だったというだけで。
元々は物事を簡単にうまく運ぶためだったルーティンも、「ルーティンだからやる」になったらオシマイですよっていう話です。
メーカーだったらよくある労働災害とか、このパターン多いです。これは、一部の人に有名な言葉で言うと「不安全状態」と「不安全行動」が重なって起こるわけですが、この中に「いつも通りやったのに事故が起きた」という感じのが結構頻発します。
目次
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「人」がいつも通りでも環境によって結果は変わる
例えば工場で装置がいつも通り動作してないのにいつも通りに運転してしまうと事故が起きたりするんですよね。
この場合、
装置が通常の動作をしていない→不安全状態
通常の動作してないのに通常の操作をする→不安全行動
となるわけですよ。結構見落としがちなんですが、まぁこのパターンの多いこと。こういう災害起こす職場は安全意識が低すぎますね、通常動作しない時に装置は停止するようにしとくのが当たり前。これをしてないのが根本的な原因ですね。
「なんか変」なのに装置を動かした人の判断も、もちろん原因ではあるんですが、人は失敗しますから、人にゆだねる対策は危険度を下げません。
こういう風にして怪我したときに「お前はアホか!」と言ってのけるような職場だと、いつ労働災害で命を落としてもおかしくないですよ。ちょっとした怪我でも、怪我をするような仕組みには、危険が潜んでいます。「ハインリッヒの法則」というのが有名ですが、ここでは語りません。
余談:大学とかはもっと危険
大学とかはメーカー企業より安全意識低いですから理系の大学生・大学院生はほんとに気を付けてくださいね。
ヒヤリハットとか馬鹿にしないで、研究室の予算を大幅に食うとしても安全活動をきちんとすることをお勧めしますよ。先生や先輩が何と言おうと不安全状態は常に探してください。
まぁオッサンの説教と思わずに。友人が指を失った経験を持つ者からの忠告ですよ。
ルーティンが無意味化、陳腐化することに敏感になろう
ここで冒頭の話に戻ると、雪降ったら動かない仕様のチャリが必要になるんですが、普通は世の中、そういう風にできていませんよね。不安全状態は溢れている。環境の変化にはアンテナ張って敏感になってないと固執するところを間違えますよ。
私はここで大学や会社での事故について語りかったのではないのですよ。
「不安全状態」→「不安全行動」→「事故」
を
「ルーティンが機能不全」→「ルーティン通りに動く」→「失敗・没落」
と置き換えて考えてみてください。
過去に、忘れ物を例に出して「失敗に意味づけをするな」「物理的に失敗が起きない仕組みを考えたほうが良い」といった話をしました。
失敗をしたら、失敗を責めるのではなくて、もっとやることあるでしょっていう話ですね。
これの発展の話がしたかったのですよ。そう、仕組みも時々見直そうよってことです。ここまで話してきたことを抽象化すると、「成功体験を得たルーティンも環境によって無意味化、陳腐化する」ということです。といっても、上の記事の忘れ物の例ならまだ陳腐化してませんけどね。
冒頭の言葉をあえて繰り返します。
元々は物事を簡単にうまく運ぶためだったルーティンも、「ルーティンだからやる」になったらオシマイですよ。
環境がうつり変わる中で、ルーティンに対する認識がこうなったら、もはや「変え時」を過ぎてますっていう事です。この変え時に敏感になろうぜっていうのがここで話したかったことです。
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枯れない花などない
「電話交換手」という花形職業があったことは知っている人すら減りつつあるでしょう。この人たちが現代に存在しないのはもはや当然なのですが、今からこういうことが起こる可能性がある仕事、生き方っていうのは山ほどありますよ。
具体例は挙げません。(予想外なことが起きるから)
成功体験に縛られて陳腐化したルーティンで生きていませんか?
それ、元々「何故」やっているのか思い出してみましょう。ここのところに敏感に生きて行かないと、仕事や地位、人間の安全なんてアッちゅー間に陳腐化するんですよ。