取った写真を見返して、気に入ったのを加工して・・・楽しいですよね。昨日までの4日間、たった1日で行った旅行記を4記事にわたってつらつら書いて、「気分転換になるかな」なんて思ってたら全然なりませんでした。楽しかったけど大変でした。
というのも、アホみたいにたくさん撮った写真からまだマシなものを選んでそれを加工して、加工した結果使えるかどうか判断するっていうのが「楽しかったけど大変」だったんですよ。旅行記はこちらから、続けて読めます
そんなことやってこのクオリティなのかよ、というツッコミは勘弁してください。(これは!っていう写真は、ほとんどなかったなぁ・・・)
こういった「楽しいけど大変」は乱用厳禁ですよ。楽しいことだからといって、限界まで突っ走るとやっぱり心身にガタが来ます。私の大変なのはもう終わったんですけどね。
この状態は自分の能力を磨いたりするのにとても有効な状態なのは確かです。「楽しい」はいちばん、能力を伸ばすのに有効かもしれません。でも、ぶっ倒れるまでやったら、やっぱりそれは遠回りになってしまうかと。
この記事はそんな話です。
目次
スポンサーリンク
ぶっ倒れたから強くなるのではない
楽しいからやり過ぎてぶっ倒れる、こういうのは美談にされがちです。まぁ他者というのはゲンキンな生き物なのでぶっ倒れて喜ばれるのは仕事とか部活とかに限られるんですがね。仕事楽しいってのは私にはよくわかりませんけどね。
「ブログ楽しいから頑張り過ぎてぶっ倒れた」はアホで、「仕事楽しいから頑張り過ぎてぶっ倒れた」は美談になりがちだという事です。
でもまあ、仕事でもぶっ倒れて戻ってこれなくなったら自己責任でバッサリ切り捨てられるんです、いずれにしてもぶっ倒れるまでやっちゃダメですよ。ぶっ倒れて這い上がってくる部分ってのは遠回りですから、褒められるからって喜んでぶっ倒れてはいけません。ぶっ倒れないほうがいいに決まっています。
何が言いたいかって、楽しくたって疲れてきたら適度なところでやめとこうってことですよ。ぶっ倒れる必要は何処にもなくて、「楽しくて大変」な状態が有効なのであり、ぶっ倒れること自体は何も生み出さないですね。「楽しくて大変」も長く続けるためには、休みを取らなきゃなりません。
なにも物理的にぶっ倒れることばかりに焦点を当てているのではなくて、心が折れるのも同様です。楽しいからって休みなくやってるとだんだん苦痛に変わったりやる気が失せたりします。この場合だれも褒めてくれないからさらに深刻ですね。いや、ぶっ倒れるのを褒めるのもメチャクチャ深刻ですけどね。
人間は楽しいことからだってストレスを受けるし、疲れるんですよ。「楽しいわー」って突っ走ってたらポコンと限界がきたりもするんです。休みはちゃんととりましょう。
付け込まれると痛い目に遭う
こういうのは、人に付け込まれる要素だったりします、やりがい搾取とでも言えばわかりやすいでしょうか。それを夢見る人が多い業種に発生していますよね、例えばエンターテインメントの産業とか、一部にそういう傾向あるじゃないですか。具体的に何とは言いませんが。
「有名なものに関わることができて楽しいからいくらでも頑張れるだろ?」といって安い給料で長時間働かされたりします。それなのにその業種を夢見る人が多いもんだから、ぶっ倒れたらどんどん代わりが供給されてしまう故に待遇は改善されない。
結局喜んでるのは人をアゴで使って燃料のように使い捨てしている人間だけだったりします。
何も仕事だけとは限らない
そうそう、こういう事って大学の研究室でもあるんですよ。
全部じゃないですけど、知名度の高い、有名な研究をやっている研究室はこのパターン結構ありますよ。学生になんぼ土日の深夜まで実験させても評判が落ちなくて配属希望者が殺到するから、そういう風になりがちなんですよ。(もちろん、先生の人柄に左右される部分の方が大きいですけどね。)傾向として、私の知ってる範囲だと、こういう事あったなぁと思うんです。
構造は同じでしょ。研究室未配属の大学生や、大学院受験で研究室を移るとかの人はちょっと頭の片隅に置いとくといいかもしれませんね。少なくとも休みはとれる状態じゃなきゃ、希望した研究内容でも楽しくもなくなってしまいますから。
以上、楽しい事もほどほどに、そしてそこに付け込まれないようにっていう話でした。