週初めごろに言いましたが、この週末にスキーに誘われてお断りしました。そこに大寒波到来ですね。お誘いを断ったのは正解だったのか。
そりゃあ、運転しづらいし、平野部でも雪降るらしいから、ヘタすりゃ渋滞で高速に閉じ込められて終了と言うのもあり得ますし、事故とかも起きやすいです。帰ってくるのも大変でしょう。
でも行くまでは辛いですが、行けばパウダーという天国も待っています。こりゃあ、行っておけば「腰パウ」(「腰まで新雪パウダースノー」の略)滑れますよね、たぶん。腰パウは雪国に住んでいたって簡単には狙って滑ることはできない天国なわけですよ。スキー宿に泊まった日にドカ雪と言うのが理想です。
どっちが良かったかという事を自分の中でグヂャグヂャやるつもりはありませんよ。このように両面を考えるのは、いずれにしても「自分は正解を選んだ」と思えるから、というセコイ思考でございます。つまり私は今、「行かないことにして正解だった、ラッキー」くらいに考えています。
いちいち自分の選択を責めていたら生きていくのに耐えられなくなりますからね!
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自分の選択はできる限り尊重
己を呪う行為は何も生み出してくれません。選んだことなのならば、それは尊重しましょう。誰も褒めてくれなくても、その選択をした自分を尊重しましょう。
失敗が多いだの、才能がないだの、そういうことを思うのは別にいいですが、それを根拠に自分を責め立てても時間の無駄ですね。
そういえば「失敗したことに意味づけをするな」とこんな記事に書きましたね。
貼った記事に書いていますが、自己批判している暇があったら物理的に失敗しない仕組みを考えたほうが後々にもよいです。
才能の差だって、仕組みで逆転できるかもしれませんよ。それは才能がないことを嘆くだけだとやっぱりできない事です。
選択肢は沢山あることを思い出そう
例えば今回、私はスキーに行くのを断りましたが、だからといって選択肢が「家で寝ている」しかなくなったわけではないですよね。
常日頃から白黒思考してると案外こんな単純なことに気付けなかったりします。白黒思考についてはこんな記事を書いています。
選択式のテストであるセンター試験の前日にこんなことを書いてしまうのは単なる偶然です。
話は戻りますが、大雪が降るという日にスキーに行かない選択をしたのだから、他の事をすればいいわけです。
平野部でも降る予報なんだから、「滅多に降らない雪が降ると美しくなる観光地に行く」なりなんなり、すればいいんですよね。
良い日になりそうな予感がしてきた
ほら、こうして考えていくとなんか「これからどこ行くか決めよう」とワクワクできますね。
「スキーに行っておけば腰パウだったのに・・・」って家でゴロゴロするよりずっと、いや、腰パウ滑るより良い日になるかもしれませんよね。
ここまでほぼ全部たとえ話で展開していますが、この例えだと単純すぎて当たり前だと思うかもしれません。
でも、これよりちょっと複雑になると自己批判にハマって動けなくなってるパターンってあるんですよ、具体的なことはあえて言いませんから、自身に問いかけてみてください。