年始の仕事はじめから東京出張2日目です。はい、もう東京出張飽きました。明日もあるとか地獄。家に帰りたい。スキーのメンテしたいし。
でも、家に帰りたいけど私は転勤族の子だったんで故郷てのは何処なのかはっきりしないんですよね。西日本をウロウロしてたけど一番長く住んだのは大学大学院を過ごした地だったりします。
そんなわけで飽きたときは懐かしいものを、ということで仕事上がり(明るいうちにさっさと上がった)にホテルに戻ってから車を走らせ、出身大学のキャンパスをうろついてきました。
着いた時にはもう暗かったし、まだ冬休み?なのか、大学院生っぽい人以外はあまり人はいなかったですけど、もうしばらく見ていなかったのでなんか涙がちょちょぎれました、あれもこれも青春だったなぁと。
私は子供のころは引っ越しまくっているので本当に故郷がどこかわかりません。それで、大学、大学院と6年住んだこの地が第何の故郷なのか定かではないですが、今となっては確実に故郷のひとつ、というか筆頭ですね。
オッサンになってからふたたび西日本に移動しましたが、もはやオッサン化以降はどこに住んだって故郷だなんて呼べませんよね。だから、ある意味「最後」の故郷なんですよ。
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人間は人に対して持つ愛着のように、土地に対しても愛着を持ちます。私の場合は小さいころは引っ越しまくったのでそういうのはないがしろにされてきたわけです。
当然子供の都合などほったらかしで転勤族は転勤しまくりますから、転校を繰り返していた私がどんな目に遭ったかなど私の親は知る由もありません。言ってなかったから。
引っ越す前から「いつからいつまでそこに住む」と、決められた期間だった場所でなんて、ちゃんとした友達すら作っていませんでした。別れを待つのみですからね。「こんなに悲しいのなら、愛など要らぬ!」と言う具合にいろんなものを拒絶していました。
でも、大学は自分で決めて受験して、ひとりで住んで、バイトと奨学金で生計を立て、ギターだの釣りだのスキーだの、愛だの恋だの言って過ごせたわけです。私はこの時はじめて、「この土地に終わりはない」という感覚と共に生きられた心地がしたんですよね。
もし自由の身になれたら、戻ってくるのはこの土地かなぁと思います。青春を共に過ごした人はもうそこにはいませんが、オッサンになってくると思い出をダシにして生きていける気がします。メシにはなりませんが。
今日はその下見みたいになってしまいました。まだ30代なのでいわゆる「普通」の感覚だと気が早すぎるんですけど、仕事引退するときには持っている物全部売り払ってそこに家を建ててそこに住もうとかちょっと本気で考えてしまっている自分がいます。
下見と言っても、今回は思い出を辿っただけなんですけどね。住んでいたアパートとか、バンドをやっていた時に通ったスタジオへの道とか、よくみんなでお好み焼きを食べた老夫婦の個人経営のお店とか、恋だのなんだの言ってた場所、よく釣りした場所、それぞれ車で見にいきました。見ただけで帰ってきました。
これで、パワーが戻ってきました。ノスタルジーは、疲れたときに抜群の効果を発揮するようです(モノによってはダメージも食らいますが)。故郷だと思っている(愛着を持っている)場所が遠くにある人は、たまに何かのついでに行くといいですよ、元気になれますよ。また住みたくなります。