今年って2017年なんですよね。まだまだ西暦2000年「くらい」の気持ちで生きている私です。
2000年って言えば、シドニーオリンピックで野球日本代表がオーストラリア代表、阪神のジェフ・ウィリアムスにコテンパンに抑えられた年ですよね。
・・・いやー、そんなに昔のことに思えません、17年も前なの?
ランディ・ジョンソンが鳩にボールを直撃させたのが2001年?16年前?
札幌ドームができたの、2002年?15年前?
よくわかりました、私はあの、若いころ感じていた「オッサン」になっています。プロフィール欄などにオッサンだと自白してはいますが、ここまでオッサンだと思ってなかったです、もっと若いと思っていました。
私は2000年ごろ、バースだのクロマティだの言われてもわからなくて、「いつまで過去の話をしてるんだ」と思っていた、ひとりの野球少年でした。その、いつまでも昔の話をする側に、今まさになっている。
ああ、例えが野球なだけで、これは野球の話ではありません。なんだかんだ言って、記憶が濃密なのは「思春期ごろからせいぜい大学生くらい」だよなぁ、と思い返してみたという話です。
みんなその頃に持っていた気持ちっていうのは特別なものがあって、語ってしまうのですね。今、思春期の人たちに私の思い出らしい思い出を語ったところで、オッサンの昔話と一蹴されるのだなぁ、私もそうしていたもので。
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音楽を聴いて時の流れを知った
そもそもこの話何から始まって、なんでこんなこと感じたのかっていうと。野球とは全然関係なくて、今日スキー場でその頃の曲がかかっていた、というだけです。GLAYの曲でした。別に当時GLAYのファンだったわけではなく、でもちゃんと歌えるし知っている。
今はどうだろう?ヒットチャートは高校出たあたりで見なくなったし、新しいアーティストを自分で発掘、なんてのも大学出たくらいで全くしなくなりました。
今は大学とか大学院までに聴いていた人達の音楽を惰性で聴いていて、流行りには全く興味がありません。何も知りません。音楽に関しては特に、ぱったりと止まってしまった感じがします。
私が新しいことをしなくなったからなのか
まず私は、就職してから転職も経験してますし、いまも新しい趣味に挑戦しています。別に考えることをやめたとか、一生懸命になれるものがないとか、私はそういう感じのオッサンではありません。
日々、新しい発見がありますし、そのそれぞれは新鮮な感覚を伴ってビシビシと私に何かを訴えかけます。
だから、私が気力を失ったことが原因ではなさそうです。むしろインプットもアウトプットも思春期の頃より増えていると思います。
だけどなんか濃密だったと感じるのは青臭かったころのことなんです。
そもそも人間の構造的にそうなのかも
全く根拠とか調べもしないで書きますが、こういうオッサン化って脳が物理的にそうしている気がします。思春期から大学生くらいって、発達の(完成の)過程ですから、その時に出来上がる「型」がやはり強い影響力を持っているんじゃないかと。
今私がやっている学習は、その型を使ってモノを出し入れするだけなわけで、やっぱり10年くらい前には型がある程度できてしまっんだろうなと思いますね。
例えば今から改めて学校、大学に通ったって、濃密な記憶は形成されないと思うんですよ。型を創る過程はきっともう終わってしまったから。
私より若い人もこの記事を読んでおられると思います。あなたのその時間、とても濃密、濃厚ですよ。あとから考えなきゃわからないことをあえて言いますが、目いっぱいアンテナ張って世の中を見て感じときましょうね。
私ができていなくて後悔していることのような気がします。無理して苦労をしろ、なんて言いません。アンテナ張っておきましょう。許容できるモノ、考え方を増やすんです。
抽象的なところに落ち着いてしまいましたが、以上、オッサン化した言い訳の話でした。