2017年1月1日です。新年あけましておめでとうございます。
めでたいって、思えないんですよ。正月と言えば、親戚ですね。親戚集団内の立ち位置が非常に弱いんです、私。
みんなに「マウンティング」されます。理由は、集団内で年下だったからというだけ、それだけです。あとみんな話通じない。会話にならない。
お前はこんな些細なことで泣いていた弱虫だ、と覚えてもいない頃のことを、30超えてなお、みんなに言われる。みんな時間が止まってるんですかね。面白いと思っているのかもしれませんが、私の心にはグッサグッサ刺さります。
今、馬鹿にされている事実があるからではなく、幼少期の自分をみんながそういう風に見ていたんだなぁという構図がはっきりするから刺さるんです。私が何も知らなかったがゆえに愛着を持っていた集団は、こういう風に幼い私を見てたのかと。
まぁ、マウンティングする対象が存在しないと困るような人々で構成された機能不全の集団に幼い子が放り込まれていたわけですよ、ターゲットにされるのは必然ですよね。親ですらそうですからね、歯止め無しです。
気に入らない(というかもはや笑える)のは、今になってもまだみんながその序列を崩そうとしない事です。いつまでやってんだよ・・・。
まあそんな理由でとても親戚の集まりが苦手だし嫌いです。
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最近だと、私が断酒してると言ってるにもかかわらず、「注がれて飲まない奴はカス」みたいなことを言われてますね。集団内に飲まない人、他にいるのに。その人は許されてます、年上だから。
考えてみれば、私はほんの数年前に、とある臨床心理士に出会うまで、この謎の掟に従って、上記のようなことを言われたら、本当に私はカスだと思いながら生きていました。
本当は苦痛だったんだ、そう思ってよかったんだって気づけたんですよね。むしろ、これで嫌だって思ってなかったんですから、むしろみんなが好きだと思い込んでたんだから、私はもはや軽いストックホルム症候群だったわけですね。
最近は正月にはスキー場に出かけて親戚から逃げています。
正月から愚痴言ってちゃ、いけないですかね?そういう風に少し思いながらこの記事を書いていますが、やっぱりそれだって、どっかから勝手に植えつけられている考えにすぎないと気付いたので記事にします。
「正月に親戚と会うのが嫌だ」って、言ったっていいじゃん!それが私のあるがままの姿です。喜ばなきゃいけないとか、みんなで飲み会するのが正解とか、そういうのもういいよ、正月から愚痴言って何が悪いんだろう。
正月には恨みはないですが、その時期に決まって会わされて好きだと勘違いさせられていた集団は、嫌な集団です。個別に嫌いではないですが、あの集まりはもう嫌。
っていう話でした。乱文失礼しました。