ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

若いうちは好き嫌いを固定せず、食わず嫌いをやめて未知に関わろう

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結構多くの人が、小さいころ嫌いだったものが嫌いなままだと思います。あ、私は子供のころ、親が茄子料理を出したら泣くくらいには茄子が嫌いでしたが、今は大好物だったりします。でも、昔から嫌いだった昆布巻きは嫌いなままです。

 

これ食べ物の話で始まりましたが食べ物の話じゃありません。昨日、いやだと思ったらサッと離れる、という記事を投下したときにちょっと書いといたほうがいいと思ったんですよ。

 

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苦手だとかオカシイと思っている人や物事に愛着を向けて、そのままそこにのめりこんでいる人は結構います。共依存のカップルとか。実は避けるべき親とかもね。

 

ほかにも、自分をキャラ付けして食わず嫌いなの。大学時代オタサーだったからリア充とは絡まん!みたいな人も、実は、愛着を持つべきところを間違ってると思います。

 

無理してポジティブになってウェーイ系に入っていってデビューしろって話じゃないことは、貼った過去記事見ていただいたらわかるとしてですね。

 

人間って、変わっていく生きものだし、あとになって整理してみたら、あの生き方は幸せへ向かう行動じゃなかった、と感じることがあったりするんですよ。その過去が、現在の生き方に影響しすぎていたりするんですよ。

 

私はこの記事で、心を病んだら趣味が整理されて特定の物が生き残ったという話をしました。

 

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これから話すのは、この辺の記事で伝えたかったけど伝えきれなかったと感じていることのひとつなんです。

 

 

目次

 

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「未知」には積極的にかかわっていき、「好き」「苦手」を発見しておく

自分が昔嫌いだと思い込んでいたり、あまり理由もなく避けていたコミュニティに身を置いてみると、新しい発見が(目指すべきゴール「幸福」の形が見えてくるとか)あったり、自分の考えを受け入れてくれる人がいたり(時にはもっと嫌いになったりも)しますよという話です。

 

自分が若かったり幼かったりすることで、植え付けられた観念だけにこだわって生きていたらもったいないじゃないですか。若いときはまだ、向かうべき方角すら分かっていないことが多いです。たとえ英才教育を受けて、あるスポーツのトップアスリートになっても、それが幸福かどうかは別問題ですし。

 

知らないゆえの固定観念はできるだけ取っ払って、知って、どの系統の物が自分の中でどういう位置づけになるか、ちゃんと見て物事を分別しておきましょう。

 

もちろんここで、好きだと思っていたことが嫌いになる、なんとなく嫌いだと思っていたものがやっぱり嫌いだと確信することだってあるし、それは悪いことじゃないんですよ。

 

昨日の記事から繰り返しになりますが、嫌いだと思う気持ちも、実は面白いじゃんという感情も抑え込まないで、感じておいてくださいね。

 

未知とかかわった結果、嫌なものばっかり見つかるという可能性はゼロではありませんが、それもまた自分が避けるべきものときちんと認識できたという点で意味はきちんとあります。嫌いなものが増える、それ自体が不幸ではないのですよ。

 

「避けたほうがいい物リスト」に加わるんですから。たとえば毎回毎回、嫌な飲み会に行って、「これは嫌だと感じてはいけない」と感情を抑え込んで全部参加するよりも、行って嫌だと感じて、何が嫌だったかという部分を洗い出しておけば「この系統の飲み会はできる限り避ける」「この系統の飲み会は楽しい」と飲み会を選ぶことだってできるようになるでしょう。

 

こんなこと言っといて、私はこれをやった結果、嫌な飲み会はいかない、楽しいところに行っても飲まない「断酒」に行きついたんですけどね。それも一つの形です。ですから、このブログに酔っぱらって書いた文章はアップされません。これは余談です。断酒の話もいつかしましょう。

 

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未知は無限に出てくる?でも関わらないと恐怖だけ膨らんでしまう

世の中は、知らないことだらけです。この「未知」は無限に出現します。関わってみたら嫌なこともあります。でも、「未知」それ自体を避けることはしないほうがいい。思考停止しちゃうから。恐怖で動けなくなるから。

 

「未知に対する恐怖」は、未知が増えるほど膨らんでいきます。(ずっと向上心を持てという話ではありませんよ、未知と関われば「オリる」べきことも発見できます)

 

未知に対して「怖い」と感じるのは自然なことで、そう感じながら関わって、かまいません。まぁ最初はあまり怖くない事から始めたほうがいいとは思いますが。

 

ずっと避けてると恐怖が大きくなって、大きくなりすぎて後戻りできなくなってくるんですよ。

 

未知にはどんどん関わってこれを自分の中で系統立てて行けば、それは既知の避けるべきパターンだった、という事が増えてきますし、それが既知の楽しいパターンだったということも、もちろん増えてきます。

 

上で飲み会の例えしかしなかったのは、私の伝え方がヘタなだけですよ。ごめんなさい。

 

趣味だって仕事だって料理の味付けだって、極端な話、寝ることからすら、未知だと自覚しながら関わっていけば新しい発見(それに対して自分が抱く感情を発見するという意味)はあります。

 

寝る前に腹が布団を上下させるほど深呼吸したら寝つきがよくなるとか、私はうつ病になるまで未知でしたし。これ発見したときは嬉しかったですねぇ。

 

「それ、どうやるんですか」「それ、なんですか」-教えを乞うてみよう

まずは、好きなタイプの人が楽しそうにやっていることからで構いません。未知なることをしている人にこの言葉をかけてみましょう。

 

あなたの幸福の第一歩になるかもしれません。私は、釣りに行ったときに何釣ってるのかパッと見てわからない人に釣り場でこれをしまくって、教わって、いろんな魚を釣るようになりました。結果、友達たくさんできましたし、仕事外のいろんな職業の(年齢も20代~70代まで!)の友達と休日を過ごすことがあります。

 

趣味の場で出会った人との交流は、ブログの説明にある「気まま、手軽、あるがまま」が実現できる良い場です。

 

未知への積極的な関わりがなければ、きっと途中で転職した私には、職場の友達しかいなかったことでしょう。その人間関係は全然嫌いではありませんが、それだけだと辛いと、私は感じていたのです。

 

会社のような小さな空間(大企業でも小さな空間です)では、関わっていると未知はどんどん減っていきます。避けたい人も見つかるので、最低限しか言葉を交わさないようにしてると、不必要に苦手な人から絡まれる機会も減っていきますよ。