さて、前の記事では他人に「危機感を持て」と発言する人の話をし、危機感がなさそうに見える人にこれを言ったらどうなるかという話をしましたね。
で、私はこの記事の中で、「危機感を持って焦ったことにより成功体験をした人」がこの発言をするといいました。前の記事だけでは、この成功体験をする人は生まれ得ないではないか、と思う人がいたでしょう。
あれは、「危機感がなさそうな人を焦らせたらパニックを起こすだけだよ」という話でしたね。
では、常に危機感があって焦っている人(これまた、本当にそう見えるとは限らない)に「お前は危機感がない、もっと焦りなさい」とメッセージを発するとどうなるのか、という話をここでしておかなければなりません。
こういう人は、このメッセージを受け取るとさらなる力を発揮することがあります。でもそれは、いずれその人のキャパシティをこえるので、一時的なもので、そのうち力尽きてしまいます。
病気になったり、燃え尽き症候群みたいになったりして。
この話をここで書いていきましょう。
目次
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いつも焦っている人は、どう育ったか
これは他人の話ではなくて、私の話にしましょう。あてはまるので。
前の記事では、ぼんやりした人がどんな「育ち方」から生じるか、を述べました。今度は、それが「いつも焦っている人」が出来上がる育ち方の話に変わります。
「無関心の父、過干渉の母」のコンボは子のニート化に一役買っているというのが結構広まったりしましたね。某掲示板とか色々なとこで。
私の親はこれに近かったですが、ちょっと違いました。母は過干渉で、子供の頃よく言われた言葉は「はやくしなさい」「いい加減にしろ」「なんでできないの」でした。
たぶん、私の記憶にないころからこれずっと言われてたと思います。
父は無関心ではなかったですが、結果だけを見る人でした。私を決して褒めない、そして危機感を煽るタイプでした。
よく言われた言葉は「自分で考えろ」「通用しないぞ」です。定義すら知らないものに対しても、「自分で考えろ」と言われていました。
学校に通っていた時は「まだ習ってもいない」は禁句で、これを言うと決まって「そんなんでは大人になって通用しない」が帰ってきました。
テストで校内順位が一桁だったら、「1番じゃないんだろ」住んでいた田舎でトップの公立高校に合格したら、「都会の俺の出身校の方が~」大学に合格したら「1流の大学ではないな」大手企業に就職が決まっても「1流の会社ではない」。
20歳過ぎてからの話も混じってますが、たぶん私の記憶にある前も、父から掛けられる言葉は、まぁこんなのばかりだったのでしょう。繰り返されてきたパターンです。
この両親のもとで育った私は、「焦り続ける人」になりました。
条件付きで愛情を与える親は、子供の中に「親の庇護下で生き延びるため」の人格を形成します。私の場合、「急いで行動する、調子に乗らない、1番ではない自分は悪いと思い込む」がそれでした。
後から考えてみると、焦ってないと生きていけなかったのです。焦っていない、ありのままの私は、いらない子だったから。
でも、そのサバイバルをすることによって、それなりの高校に受かったり、大きい企業に入ったりという成功体験も生まれてしまったのです。
「他人を焦らせたら力が伸びる」という考えを持った人が発生するのは、だいたいこのようにして(私よりもっと大きいであろう)成功体験をしてる人がいるからなんですね。
今、私はちょっと事情があって変わりまして、焦ったほうがいいとは思ってはいませんが。
このタイプの人に「もっと焦りなさい」を押し付けるとどうなるか
ずっと焦っている人は、そうやって生きてきましたから「焦ることで自分の力が伸びた」「それは、自分を焦らせた人のおかげである」という認識を持っていたりします。(間違ってるんですけどね!)
ですから、既に焦っていても、急かされるとさらに焦って「レトルトカレーの残りを箸で絞る」ように、力を絞り出します。
この残った力は人それぞれ大きさが違って、またその力で上手くいってしまう人もいます。でも、たいていはそのうち力尽きます。キャパが人によって違うのは自明ですよね。
私は会社に入ってしばらくして上司が変わり、その人が「焦らせる系」の人でした。コッテコテの。
「もっと危機感を持て」といわれまくって焦りに焦りまくった私は、学んだこともない専門外もいいところの、膨大な数の実験装置を一つのコンピュータで制御できるようにする事を主な業務として命じられていた傍らで、新たに特許を書いたり新しい研究テーマのアイデアを出したりとがつがつ働きました。それが褒められたりもしましたよ。
でも、ある時プツンと緊張の糸が切れて、「うつ病」になってしまいました。(いまだに医者に通っています、この経緯についてはまた後日書きましょう、いつになるかわからないけど)
同じように、この上司になってパフォーマンスが一瞬上がって、その後力尽きて会社をやめて行ってしまった人もいます。
私は発病後数年はその会社で働きましたが、結局私は元のパフォーマンスを取り戻すことはなく、転職を決意して、今は研究の仕事はしていません。
お給料はガッツリ減りましたが、運よくマッタリした職場にはいれて、今は働く傍らこうしてブログ作ったりwebサイト作ったりしているわけです。
要は「焦りなさい」と煽られすぎてパンクしてしまってドロップアウトしたんですよ。
「もっと焦りなさい」に動じない人
さて、前の記事とこの記事とで、他人を焦らせる人にやられてしまうタイプの人とそのパターンを、少ないサンプルではありますが見てきました。
でも、みんなこれ言われてダメになるわけじゃないんですよ。ダメにならない人っていうのは、「動じない人」なんですよね。「危機感を持て!」といわれて「え、やばい」と思わない人なんです。
私が挙げたような「庇護を受けるために形成された人格」がない人。自己受容がきちんとできている人です。
こういう人は、「自分はありのままで存在していい」という安全感をもっていて、危機感を煽られても動揺しません。
他人の心に侵入して操ろうという策を華麗にスルーできるのです。(ここではこの話を掘り下げませんが、こんな話も、これからこのブログではちょいちょい出てくると思います)
焦らせてはいけない
ここまで見てきていただいたらわかると思いますが、私は「他人の危機感を煽る」という行為には恨みがあるわけです。
焦って成功体験を得る人、そして人を焦らせて絞りとった力で成功体験を得る人も出てくる可能性があるのはこの記事で書いた通りです。
ですが、健全なやり方ではないのですよ。一瞬パフォーマンスが上がっても、このやり方だと電池切れするんです。
人にそうさせる場合は多数の「従順な使い捨て要員」が必要になります。悲劇でしかない。
火事場の馬鹿力は継続して出せません。暴漢から逃げるスピードで何年も走り続けられる人はいませんよ。
効かない人以外には、マイナスの効果をもたらす魔法のような言葉が「お前は危機感が足りない」です。
焦り続けて大人になった人は、もう親に焦らされなくても自分で自分を焦らせていると思います。ずっと毒が効いているんですよ。
そういう人は、人を焦らせようとします。焦らせないでください。良いことないですから。
そして、今人から煽られて焦っているあなたは、スルーを決め込むべきです。心への侵入からは逃げましょう。