ブロブロスキーのブログ

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試し出社失敗からの退職、無職生活あたりのこと【うつ病】

前回、休職期限ぎりぎりの試し出社で一回休んだら再休職命令が出るという条件下で挑んだ結果、結局ドタ休をしてしまって退職が決まりました、という形で記事が終わっています。この記事ですね。

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この「うつ病の経緯」記事は以下の記事から始まっています。はじめから読まれる方はどうぞ。

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まぁ退職はもう決まってしまったわけですが、それでも何度か会社に行って退職の手続きに行ったり私物片づけたりしたのでその辺を書いていきましょうかね。その後の無職生活の事も少し。

 

それでは行きましょう。

 

目次

 

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試し出社を休んでから休職期限(退職日)まで

私はそもそも「うつ病」の発症時何をやらかしたのか思い出してみましょう。

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会社としてはこれが一番嫌なわけですね。

 

まぁこの期に及んでそんなことしねーって。でも、こういうわけだから毎日安否確認をするという謎の約束が交わされました。それから、何故か知らんけど退職の日までは会社に来ないで、退職の決まった日以降の土日(人が誰も来てない日)に会社に置いてある私物を全部取りに来て、と言われました。退職後なのはまぁ何かいろいろ事情があったようですが忘れましたね。後者は無駄に人に会わなくていいようにしてくれたんでしょうけど。

 

私のほうではそれまでに作業服のクリーニングだとかいろいろ済ませておくことがあって・・・って感じで何か結構忙しかった記憶があります。

 

退職日がやってくる

この、退職日に日付が変わる瞬間、私はこの会社の同期入社組とお疲れ食事会をしていました(笑)いまこの瞬間から私は無職になります!みたいなふざけた感じでね。(内心は全然穏やかではなかったですけど。)

 

そういうのは置いといて。

 

まず会社に行って私物の片づけをしました。総務課長一人が立ち会ってくれました。この人はずっと私に嫌なこと言い続けた人でしたので基本的には「はぁ、はい」だけ返していましたね。一応会社のメールアカウントも生きていましたので会社のメールからお世話になった人にメールもだしておきました。今後はこっちに連絡くださいって感じの仕様メールアドレスも添えて。

 

そのときのこともまぁめんどくさい話だからもういいので置いといて、地味な事務手続きが続きます。

 

・健康保険

14日以内に資格喪失賞を持って役所へ。身分証を持っていく。精神科の自立支援医療は障害福祉課で(障害者手帳もあればたぶんこっちで何かするしょう)。

 

・年金

14日以内に印鑑と身分証、年金手帳を持って役所へ。なんか持って行ったらやってくれます。

 

・失業保険関連

離職票、雇用保険証が会社から届いてから身分証と3*2.5cmの写真2枚、印鑑、預金通帳、(あればうつ病の診断書など、あれば障害者手帳など)、を持ってハロワに行きます。あとはボヤっとしてたら指示通りです。

 

失業保険の受け取りはこれで終わりではなくて、受給説明会があって、「しおり」を受け取り、「認定日」にハロワに行きます。

 

手続きがなんやかんや1か月くらいかかった

あーおわった、解放された・・・って思うまでに結局1か月くらいかかりました。次を決めてから退職した人とかって仕事しながらああいう手続き勧めるの?その場合は色々勝手にやってくれるんでしょうけどねぇ、まぁよく知らんけど。ありゃ―めんどくさいですわ。

 

この後私は、無職として少しだけ(期間は言いません、察してください)、ひとりでスキー行ったり、山や湿原へ旅に行ったり、18きっぷでローカル線回ってみたり、でっかいレンタカー借りて琵琶湖に巨大ナマズ釣りに行ってみた(結局釣れなかった)り、してました。それも少しは楽しかったけど、別にメチャンコ楽しくはなかったです。

 

後から来た住民税の請求書はビビりましたね。死ねって思いましたよ。この国は失業者を殺しに来てるなって。まぁそんなのもいい思い出です。実際貯金も退職金もあったのでそんな死ぬほど払わなかったです。

 

仕事して、必死で金貯めて得る安定と、その上でなんとか残った金でする旅行とか趣味って、なんなん?老後って想像つかんけど、ずっとこれすんの?こんなもんなん?って思ってました。この時の虚無感は今でも忘れられませんね。(注:楽しめなかったのは、うつ状態が深刻だったからでしょう。いまならヒャッハー状態で楽しめます

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認めてくれるのはうれしいけど、励ましは辛かった

この無職期間、みんなが励ましてくれるのが、正直、辛かったです。それは、今の無職の自分を肯定してくれる言葉ではなかったからです。

 

「今は辛いかもしれないけど、お前には能力あるから、お前ならきっとうまくいく」とみんな言いました。人望があるだの、強いだの、色んな言葉に入れ替わって。でも、この時の私は、別にうまくなんていきたくなかった。プータローのままでも、存在するだけの私をだれか肯定してほしかったんです。

 

そう、当時私は、このまま無職で貯金がなくなったらそのままこの世からフェードアウトしてもいいかな、と思うくらい無気力だったんです。成功なんてしなくていいから、もう私に期待しないでほしかった。あんまりこの世に関わりたくなかった。だからこういう励ましはまったく響かなかったんですよね。

 

大学時代の友達からその親経由で声がかかる

こんな無為とは言わないけど冒険家みたいなことをしているときに、私の大学・大学院での業績、活動実績に目をつけていた友達が声をかけてくれて、その友達の親(この人、偉い)経由で私はうつだ何だのは全く隠した状態でコネ就職します。関西→関東の大学で、よく一緒に帰省した仲の友達でした。で、それが今の関西の職場です。研究ではないですが、一応理系での再就職です。

 

大企業時代、私が3人から4人分くらいの仕事をしていたこともやはりここで明らかになったりしています。就職してみたら3割の力で仕事が成立する(笑)何だこれって感じです。

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と、こんな感じで今は2割から3割くらいの力で仕事して(減ったけど)普通の給料得て仕事して生きてますというのが現状です。こうやっていたら上記の無職時代に無理くりやっていたことも楽しめるように少しずつですがなってきたというのも追記しておくべきことですね。

 

結局、ホワイトでもブラックでも運次第

何だ、あんなモーレツ社員では無くても生きていけるじゃないか、世の中は!というのが正直な感想です。そう、私は学歴で別に差別するつもりもないですし、明らかに私より勉強の意欲も学習能力も学力もない気力もない人間が大企業で生き残っていました。それはひとえに配属された部署の上司や教育担当の性格によるのだと思いました。私はクソな奴に当たっただけだったのですたぶん。

 

このへんの再就職とかについて詳しく書く気はない

特定も嫌ですしね。詳しく書く気はありませんが、いまは楽チンに仕事して、以前楽しめなかったことも数割増し以上に楽しめる程度には回復している自分が居ます。

 

うつ病の経緯編時系列で書くのはこれくらいにしますが、ちょっとまとめみたいなのを入れてシリーズ終了にしましょうかね。長々とありがとうございました。