ブロブロスキーのブログ

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部署を変えての復職から二度目の休職まで【うつ病】

私のうつ病になった経緯シリーズの記事です。診断までの経緯はこちら。

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診断後、1度目の休職をとにかく運動しまくりで過ごしたのが続きです。

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この2記事の続きが今回ですね。「知らない部署にポーンと放り込まれて復帰」だったと前回の記事に書きましたね。実はこういうのは異例です。普通は元居た部署に戻りますが、やったことがやったことだったので例外ですね。

 

そこで与えられた研究テーマは私が大学院時代にかなり濃密に関わったことに関するテーマで、しかも会社としてはアイデアから立ち上がったばかりのテーマ。担当は私を入れて3人。

 

これはかなりやりやすい状況だなと思いました。先輩方が一生懸命集めて読んでいた論文はほとんど既読のものだったですし。(ただし、不安が滅茶苦茶強かったので生意気言わないようにはしていました)

 

ここでも数年働いたのですが、結局再燃となって休職に至ります。その辺を書いていきましょう。

 

目次

 

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研究はいいけどキレる上司と、キレる上司の上司

私の大好きな、薬品混ぜたり温度変えたりして試行錯誤していく系の研究です。これは楽しいです。狙い通りにスゲェ測定値が出てガッツポーズしたり、セレンディピティでわけわからんけど新しい物ができたり、材料触ってる時の醍醐味だと思いますね。

 

前みたいに自分にはできないことをやらせてるのに私ができない事を責める変な人もいませんし、新しい部署の先輩方の人間性にも本当に救われました。

 

ただ、各種ミーティングのたびに上のほう(課長級、部長級)の方々がキレまくるのがどうにも耐え難いものがありましたね。これによるストレスはかなり蓄積していきました。

 

先輩の一人が他部署兼務になり、そして…

復帰して無事半年くらい経った頃でした、3人のチームのうち先輩1人が他部署も兼務になったのですが、そっちの上司の人がネチネチ系の嫌味野郎で、ものの2か月ほどでメンタル疾患で休職になってしまいます。

 

これで仕事の負荷はガンと上がり、研究が進まないのは仕方ないとしてもう報告書の執筆やら何やらが山のように積み上がって襲いかかってきたのですね。先輩が兼務されていた部署のほうからも、です。この波状攻撃はなんとか耐えていたんですけどまだ続きがありました。

 

復職にあたって主治医が変わっていた

ちょっと話がそれますが、この先輩が休職すくるらいのタイミングまで、復帰の時に総務に紹介されたクリニックに通っていました。この先生も抗うつ剤をたくさん出していろいろ試すばかりの先生でしたね。で、このクリニックは2時間以上、ヘタすると4時間とか待たされてたんですよね。しかも場所も遠い。

 

通院のために仕事を早く切り上げても受診後帰ったら23時とかになっててゲンナリだったので、紹介状貰って会社近くのクリニックに転院してたんです。これが後になって色々効いてきますが、この時点では特別何もおきません。

 

愚かなことだとは今は分かっていますが、この辺まで私は先生が薬出したり変えたりしたら「効いてる」って言わなきゃいけないと思ってたようなところがあって、どんどん増えたり変わったりして自分に出される薬の処方について何がどうなってるのかわけわからなくなってました。

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とどめの一撃、テーマ立ち上げた人が退職

3か月ほど休職してしまった先輩が復帰されてから、1年くらいは平常に戻ってなんとかやっていたんですよ。でも結局その先輩は籍だけ残して実質別の部署で働くようになりました。それでも2人でなんとか仕事回るようになってました。

 

ところがどっこい、今度はこのテーマ立ち上げた先輩、私の研究におけるいちばんの師匠、かつ、どん底から拾いあげてくれた恩人です。この人が退職しました。海外に行ってしまいました。

 

これによって、6年目くらいの先輩と係長級の師匠と私の3人やっていた仕事をすべて私一人で行う状況に陥ります(何故か知りませんが当然のようにテーマ外の部署の様々な委員、係もすべて私に引き継がれました、私は係長級ではないぺーぺーなのに丸ごと引き継ぐって何事だよ)。

 

ごたごたしたので良い結果はあまり出ておらず、予算がつかないので増員もできない状況。当然ですが、全然まわりませんでした。オマケに次の年度から、私は他のテーマ兼務になります。結果出てないから「一人分」もお前のテーマに割けないよっていう意味ですね。でもテーマの仕事の量変わらないんですよね。

 

思い返してみたらキレてた上の人ら管理能力なさすぎですよね。私は何人分仕事するんだ(当然捌けてなんかいないけど)っていう感じですね。そして2人の防波堤がいなくなったら、当然キレる部課長の攻撃は直接私に向けられます。地獄の始まりです。

 

主治医を変えて起きていたこと

話が飛びますが、病気の経過のほうも同時に書いておかねば訳が分からなくなるので。主治医を変えてから、この先生はとても話しやすくて私が薬の感想をちゃんと言えていないことを見抜いてくださっていたんですよね。

 

それでうまいこと、今まで出された薬について感想を引っ張り出していただいて、「ああ、この方針ではダメですね」といってSSRIやSNRIは漸減し、「睡眠導入剤のみ」に向かって行ってたんですよね。

 

確かにこれによって、世界がぼやけた感じで見えていたのがなくなったというか、なんかあの多剤処方の頃は別人として生きていたような感覚になりましたね。効く人も効かない人もいる、効かない場合はちゃんと言わなければ、ってここでようやく気付いたんです。(遅いでしょう)

 

地獄が始まって1年くらい

キレられつづけ、急かされ続け…これ1年でアウトでした。数カ月で「朝、金縛りのようになり起き上がれない」「会社の前で立ちすくんで歩けなくなる」「好きだったことにも何にも興味が湧かない」などなど、今まではほとんど(感じて)なかった「うつ病」らしい症状が出たような気がします。

 

ドタ休がどんどん増えていき、有給がなくなりそうなところで医師から休職しなさいと言われました。1回目とは全然違う、これが「うつ病」なのか、診断はだいぶ前に下りていたのに、こんなものを抱えていたのに、気付いていなかった(病識がなかった、誤った病識を持っていた)のか、と恐ろしい気持ちになりました。

 

ただ、それ(うつ)らしい症状が目立ち始めたこの時が「発病」なのかというと違うんですよね、病識がなかったからそれとわからなかっただけで、後から考えたらずっと潜んでいました。それに、一回目の休職に至る事件がなければ今回の状況は「他人に頼る」という方法で凌げたと思うんです。そういう調整能力とかが、このときの2年半以上、失われていたと思います。耐性も落ちていましたし、処理能力も落ちていました。何よりも、「Noを言う能力」が落ちていたと思います。ずっと不安も強かったです。

 

さて、この休職の時に、主治医を変えていたことが影響を及ぼしてきます。このクリニックはリワーク・プログラムを備えていたのです。いわゆる認知行動療法(CBT)を行う復職のためのデイケアです。しばらくは休んだ後、これに参加することになりました。

 

今回はこのくらいまでにしておきます。次回からリワークプログラム編です。

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