ブロブロスキーのブログ

スキーと釣りが趣味の院卒の30代オッサンのブログ。気まま、手軽、あるがまま

うつ病で休職、心の問題は何も解決せず体は元気になって他部署で復帰

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前回の記事は、私が門外の事をやらされた上に指導できる人がいなくてさらに指導もできない人からハラスメントを受けまくって自死に突き進んで、未遂に終わってうつ病の診断が下りて休職、という話でしたね。死に損なったわけです。

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この記事は肋骨骨折、左脚骨折、頸部損傷、うつ病という割とボロボロな状態で実家に帰ったよ、で終わっています。幸い、怪我は大したことなかったんです。いや軽傷ではなく重傷でしたけど、脚は固定してるから痛くないし、肋骨はもう寝返りしたらチョイ痛いという程度でした。

 

これ今でも不思議なんですが、なぜ私は閉鎖病棟に放り込まれなかったんでしょうね、親が何を病院に言ったのか知りませんが、今疑問に思っていることのひとつです。

 

まぁこの状態から私はなんと会社を辞めずにしばらく休職後、部署を変えて同じ会社に復帰します。信じられないかもしれませんが、復帰するんです。よく考えたらやめといた方が良いんですけど、よく考える頭を当時の私も、両親も持っていませんでしたということですね。

 

その辺のところを語っていきましょう。

 

目次

 

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大怪我もどうせ何もする気が起きないので良い静養の助けに

「自発的に何かやりたいと思うまで、何もしないで寝ているくらいの気持ちでいてください」

 

実家近くの最初の主治医から、初診の時に発せられた言葉でした。私は通院のたびに「自分は元気なんですけど病気なんですか?」とこの期に及んで聞きつづけていました。病識がなかったのですね。

 

病識は無くとも何もやる気は起きないし、どうせ怪我で動けないし、外科と精神科の通院以外何もせずにいたら1か月くらいで無性に運動がしたくなりました。ちょうどこのころから常に監視されている状態から脱し、ほっといてもらえるようにもなりました。

 

脚が治った後には、もう10kmくらいのウォークやジョグをしていました。ほら、元気でしょ。正直言って、うつが治った、いやそもそもうつではなかったと思っていましたね。はやく働かなければ!って思っていました。そう言っても、医者は「もう少し休みましょうね」と言ってましたけど。まぁそれは当たり前ですね。

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少し頭が回り出して思い出す休職手続きのこと

休職するにあたって提出するいくつかの書類を書くときにですね。

 

産業医「残業は少なかったから労災ではないですねー」「他者によるものですか?の覧は『いいえ』にマルしといてください」

 

こんなことを言われていたことを思い出しました。残業は一定以上は禁止されてたからずっと持ち帰りで半分徹夜で勉強してたけどなぁ。半ば強制的に。しかも、今回の休職は一方的に自分のせいなのかな。

 

そうか、そうやって丸め込むんやなぁ、手慣れとるなぁ、と後になって思いましたね。

 

服薬は副作用ばっかで効いてるのかも何もわからない

私の実感として、抗うつ剤とかって飲んでもハイになって多弁になるだけだったんですよね。気持ちが上向いたとか、そういう実感ていうのは一切なかったです。

 

(未だにちらっと思うことなんですけど、この時点では導入剤なくても眠れてたのに、抗うつ剤抗不安薬睡眠導入剤と多剤処方されたものを全部飲まなければ私はフツウだったのではないかと。未遂があったからこういう風にされたけど、それは死ぬのが普通なくらいの環境だっただけで、病識がなかった私が正しくて私はうつ病ではなくフツウだったのではないのかと。)

 

だけど元気に過ごせて運動ができてるからこれ(薬いっぱい飲んでる)でオッケーという感じで心の問題にはまったく手をつけず(主治医も親も自分も)4か月ほど、とにかくランと筋トレで身体鍛えてました。おかげでこの時人生最高の身体能力が身についてたかもしれません。

 

それってパッと見は元気だし、生活リズムもできてきたし、休職の期限もあるし、ということで復帰の話が総務から来ました。

 

元専門の所に部署を変えて復帰へ

復職する部署として提示されたのは、入社時に希望した材料関係の研究の部署でした。

 

たぶん、実家に帰る前に総務の人と話した時に回らない頭で「面接で材料やりたいって言って内定出たから、そこに配属されると思ってたのに、ハードウェアやらすとかあり得んでしょ。しかもミスマッチな部署でも目立ったら、今度はイジメ野郎が上に就いてプログラムやらして指導できる奴もいないとか。この流れ、わざとでしょ」というようなことを言い放っておいたからですね。たぶん図星でしたよあれ。

 

ここに復帰してねと言われて「そこは入社時に希望しても弾かれたけど、なんで問題起こして休職した後なら入れてもらえるのん?」とは聞きませんでした。

 

もうだいたいわかってたんですよね。大学院で専門だった奴って会社からしたら「生意気」なんですよ。だからわざと部署はミスマッチなところに配属させる。そうやって自分たちのカラーに染める。そうしてヘボ人材に仕立て上げて会社に依存させる。そうしたらみんないうこと聞かざるを得なくなって、転職とかできにくくなりますから。

 

けど今回は、希望を通さなかったら会社にリスクがある。ただそれだけの理由で私の希望が通ったわけです。みんな責任取りたくないんですよ、それだけなんですよね。

 

心の問題は放置で身体だけ元気になって復帰

結局、試し出社も何もなく、ぽこーん、といきなり知らない部署で復職しました。

 

結局自分も周りも、「慣れない仕事と厳しすぎる指導でうつ病になった」「運動したら良くなった」というくらいの認識で復職に進んでいきました。

 

現実は全然心の問題は良くなんてなってなかったし、もともと私がたくさんの闇を抱えていたことに自分で気が付くのはここからさらに数年が過ぎた後だったのです。

 

今回はここら辺までにしておきます。次回は、休職2回目くらいまでが書ければいいですね。

 

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